2011/10/16 00:08:09
帯広の開拓<静岡出身の晩成社> |
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帯広の街は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による開拓ではなく、静岡県出身 | ||||||
の依田勉三率いる晩成社一行が明治16年に入植したのが開拓の始まり。 |
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依田勉三の北海道開拓の志をもとに、土地開墾、農業、牧畜、造林などを目 | ||||||
的として明治15年、静岡県伊豆国那賀郡大沢村(現、賀茂郡松崎町大沢)で | ||||||
同地の豪農、依田家によって結成された会社です。 | ||||||
(資本金を5万円。当時の1円は、現在の4000円)。 | ||||||
明治16年に現在の帯広市へ入植し、3年後の明治19年に大樹町生花晩成 | ||||||
地区で晩成社当縁牧場を開設し、牧畜業を始めました。 | ||||||
依田勉三が「開拓のはじめは豚とひとつ鍋」と詠んだように、一つの鍋で全 | ||||||
ての煮炊きをした。 | ||||||
明治28年に通称十勝監獄が開設され、受刑者によって大通が整備され市街地 | ||||||
が形成された。市街は計画的に整備されており、帯広駅を中心に碁盤目状の | ||||||
区画が四方に広がり、大通公園から北東、北西、南東、南西に対角線方向の | ||||||
道路(火防線)が設けられている。 |
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