忍者ブログ
2025 02
≪ 2025 01 12 3 4 5 6 7 89 10 11 12 13 14 1516 17 18 19 20 21 2223 24 25 26 27 28 2025 03 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



  <信濃開拓地/札幌市厚別区>
 
 
 厚別地区の本格的な開拓は、明治15年に、この地を経由して、札幌と
   幌内炭鉱(三笠市)の間に鉄道が開通したことから始まりました。
   現在の厚別中央から厚別西にかけての、JR厚別駅周辺には、明治16年に
   河西由造たち8戸が入植しました。
 
   この人たちは、長野県出身で、当時長野県のあたりを「信州信濃」と呼ん
   でいたことから、この入植地も、通称「信州開墾地」とか「信濃開拓地」
   と呼ばれるようになりました。現在も、小・中学校や神社・公園などに、
  この名が残っています。  
 
     
 
明治18年になって、現在の青葉町ともみじ台を含めた下野幌地区に、
  石松弥七と小ケ口石太郎が、上野幌地区には小ケ口石松、石井市郎
  兵衛、大崎三平、太田鉄五郎らがそれぞれ入植しました。    
  また、大谷地にも阿住勘五郎、駒林鉄五郎が入りました。    
  現在の厚別北と厚別東を含む小野幌地区は、これより少し遅れて、明治
  22年に秋本槌五郎が入り、炭焼きを始めました。    
  山本地区は、さらに遅れ、小樽の山本久右衛門が、北海道からこの地の払
  い下げを受け、明治42年から開墾に着手しました。    
  この後も、多くの開拓者が厚別地区に入りましたが、白石区のように、
  本州からの集団で、直接移住したのではありません.小樽や札幌の中心に
  いったん定住した後、移り住んだ人がほとんどでした。    
PR


この記事へコメントする








絵文字:
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字








2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
HN:
上家二三夫
性別:
男性