2011/10/17 00:12:15
<信濃開拓地/札幌市厚別区> |
||||||
厚別地区の本格的な開拓は、明治15年に、この地を経由して、札幌と | ||||||
幌内炭鉱(三笠市)の間に鉄道が開通したことから始まりました。 | ||||||
現在の厚別中央から厚別西にかけての、JR厚別駅周辺には、明治16年に | ||||||
河西由造たち8戸が入植しました。 |
||||||
この人たちは、長野県出身で、当時長野県のあたりを「信州信濃」と呼ん | ||||||
でいたことから、この入植地も、通称「信州開墾地」とか「信濃開拓地」 | ||||||
と呼ばれるようになりました。現在も、小・中学校や神社・公園などに、 | ||||||
この名が残っています。 |
|
|||||
明治18年になって、現在の青葉町ともみじ台を含めた下野幌地区に、 |
||||||
石松弥七と小ケ口石太郎が、上野幌地区には小ケ口石松、石井市郎 | ||||||
兵衛、大崎三平、太田鉄五郎らがそれぞれ入植しました。 | ||||||
また、大谷地にも阿住勘五郎、駒林鉄五郎が入りました。 | ||||||
現在の厚別北と厚別東を含む小野幌地区は、これより少し遅れて、明治 | ||||||
22年に秋本槌五郎が入り、炭焼きを始めました。 | ||||||
山本地区は、さらに遅れ、小樽の山本久右衛門が、北海道からこの地の払 | ||||||
い下げを受け、明治42年から開墾に着手しました。 | ||||||
この後も、多くの開拓者が厚別地区に入りましたが、白石区のように、 | ||||||
本州からの集団で、直接移住したのではありません.小樽や札幌の中心に | ||||||
いったん定住した後、移り住んだ人がほとんどでした。 |
PR