2011/11/19 00:50:47
<トラピスト修道院> | ||||||
トラピスト修道院はカトリックの修道会の一つである厳津シトー会(トラ | ||||||
ピスト会)の修道院で、日本では主に北海道北斗市三ツ石(渡島当別)に | ||||||
所在する「灯台の聖母トラピスト大修道院」の通称となっている。信徒 | ||||||
により函館郊外、当別の原野が寄進され、明治29年10月末には9名の修道 | ||||||
士の来日をみた。 | ||||||
明治30年1月、ノルマンディー地方にあるブリックベック修道院の副院長 | ||||||
であるジェラール・プゥイエ師が、修道院長として来日し、当別に着任。 | ||||||
●明治31年4月30日には、函館湯川に「女子トラピスト修道院天使園」 | ||||||
が創立される。昭和10年の総会で、灯台の聖母修道院は大修道院に昇格さ | ||||||
れる。 | ||||||
現在、当別修道院の他、男子修道院としては昭和55年大分県 速見郡日出 | ||||||
町に開設された『お告げの聖母修道院』を、また女子修道院は国内に四カ | ||||||
所、海外(韓国)に一カ所を子院として持ち、会員は「祈り働け」をモッ | ||||||
トーに、各修道院にて労働と祈りの日々を送っている。 | ||||||
童謡『赤とんぼ』の作詞者として知られている詩人の三木露風は30代の初 | ||||||
めの頃、プゥイエ院長の招きで当院の文学概論、美学論などの講師として | ||||||
夫人とともに4年間を当別で過ごし、その間に夫婦で受洗してカトリック | ||||||
信者となった。また、男爵イモの開発者として知られる川田龍吉爵も、そ | ||||||
の晩年に当別教会にて、D.ベネディクト大修道院長によって洗礼を授けら | ||||||
れた。 |
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