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北海道内のおもな義経伝説 13

 浜益・雄冬

⑬ 浜益に残る義経伝説(源義経は浜益に来たのか?)

 

浜益という名前の由来
 浜益という名前の由来はいろいろあります。
いずれもアイヌ語で、「マシュキニ(ニシンの多いところ)」
「マシケイ(カモメの多いところ)」
アママシュケ(穀物を炊く)」などのいわれがあり、そのうち「アママシュケ」が
源義経にまつわる名前の由来といわれています。
かつて、義経がたどり着いたときに、この地で飯を炊いて食べたことにちなんでいるそうです。

 

義経、ゴキビルに到着(ゴキビルの岩燕伝説)

義経は奥州藤原氏のもとを逃れ、津軽海峡を渡り、
後志の国に入り、やがて浜益の地へやってきました。

ゴキビルに到着した義経はアイヌの酋長「トミハセ」の供応を受けました。
トミハセには美しい娘がおり、娘は義経のことを好きになってしまいます。
やがて、疲れを癒した義経が出発するとき、老婆が娘の代わりにと
2羽の岩燕を贈りましたが、燕はすぐに娘のところに戻ってしまいます。

ですが、燕が戻ったときには、娘は毒を飲んで死んでしまったあとでした。
娘の可愛がっていた2羽の紅い頭の岩燕が、娘の恩を忘れず未だに
ゴキビルの洞窟に棲みついているそうです。


義経、トドを食べる(マラプトフンナイ)

ゴキビルを出立した義経一行は、群別のマラプトフンナイに到着。
マラプトフンナイは現在の室蘭沢だといわれている。
アイヌは義経に海馬(とど)をとってご馳走したといわれている


雄冬岬の近くにカムイオプトイというところがあり義経が上陸した。
雄冬岬を越すタイルベシベというところに義経が住んでいた。
ここを出ていくときに甲冑を置いていったが、蝮になってしまった。
ここを出た義経は小舟でカムイオプトイに上陸し、山越えをして増毛に移動した。

 

 

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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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