2010/01/10 00:31:22
文禄2(1593)年、
蠣崎慶広 (武田信広から5代目)は名護屋で豊臣秀吉
慶長4(1599)年に大阪で徳川家康に会いました。
この時姓を蠣崎から松前に改めます。
その後、慶長9(1604)年には家康から黒印状が与えられ、
蝦夷地における交易の独占を認められました。
幕藩体制下に入った松前藩は本州他藩と異なり、藩士への禄に米を用いる
ことができず、主だった家臣には徳川幕府に承認されたアイヌの人たちとの
交易権を地域を限って分与しました。
これを商場(あきないば)あるいは場所と呼びました。
知行主 (商場を給された藩士)は、年に1度みずからの商場へ船を出し
その地域のアイヌの人たちと交易を行い、そこで得た品物を松前で本州商人に売却し
その収益でくらしをたてました。
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