2010/01/11 00:32:36
知行主はアイヌの人たちとの交易に要する経費、さらに生活費
までを商人から借用し、交易によって得た品物を商人に渡して借金
の返済にあてました。
商人への借金が増えると、知行主は一定の金額をとって、
商場を商人に請け負わせるようになりました。これを場所請負制といいます。
場所を請け負った商人は知行主と同じように商場でアイヌの人たちと交易を行っていました。
しかし、元文5(1740)年ころから始まったといわれる長崎俵物 (煎海鼠(いりなまこ)、
白干鮑(しらほしあわび)、昆布など)、本州における藍(あい)などの換金作物の肥料
となる〆粕(しめかす)などの漁獲物の需要が高まると、商人自らが漁業を行うようになります。
漁業に進出した商人は漁具の改良、新技術の導入によって、漁獲の増大をはかるとともに、
アイヌの人たちを漁場の労働力として使役するようになりました。
ここにおいて、これまで生産者・交易者であったアイヌの人たちは漁場に隷属させられた
労働者としてくらすことになります。
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