2010/01/12 00:33:40
シャクシャインの戦いは日高地方に生活圏をもつアイヌの人たち
2グループの漁猟権をめぐる争いから始まりました。
しかし、寛文9(1669)年には一方の統率者シャクシャインの呼びかけに
呼応した蝦夷地のアイヌの人たちと松前藩の全面戦争に発展しました。
戦いはほぼ互角に推移し、和睦を結ぶことになりました。
和睦の酒宴の席でシャクシャインはだまし討ちによって殺害され、
アイヌの人たちの戦いは終息しました。
これによって、アイヌの人たちは松前藩に従うことを認めなければなりませんでした。
これまでも、松前藩はアイヌの人たちとの戦いにおいて形勢が不利とみると、だまし討ち
によって戦いを終わらせたことが何度かありました。
アイヌの人たちが容易にだまし討ちにあった背景には、アイヌの人たちの交易者としての
側面があったことが指摘されています。
アイヌの人たちにとって、くらしを営むうえで欠くことができない交易は単なる品物の交換
ではなく、交易相手との無沙汰を丁重に述べるなどの厳粛な儀礼を伴ったものです。
したがって、和人側から言葉を尽くした和睦を持ちかけられると
それを一蹴せずにアイヌの人たち、とりわけその統率者は威儀を正して、その場にいどみます。
戦い相手との再会儀礼などが滞りなくすみ、緊張がほぐれたところをだまし討ちにされました。
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