2010/01/13 00:34:44
シャクシャインの戦い以後、和人の優位がゆるぎないものになります。
多くのアイヌの人たちは漁場労働を強いられ、場所請負人そしてその
配下の者たちの酷使や交易の不正に耐えなければなりませんでした。
松前藩による場所の開設とアイヌの人たちの使役は松前の遠隔地へ
と広がっていきました。
このような状況のもとで、未だアイヌの人たちの自主性が残されていた
国後島のアイヌの人たちは、国後場所請負人飛騨屋久兵衛の運上屋による酷使や不正
に立ちあがり、さらに対岸の目梨地方(現在の標津地方)に戦いは広がりましたが、
国後と厚岸の首長の説得によって、戦いは収まりました。
しかし、松前藩が派遣した討伐隊は主だった人たちを死刑に、他の人たちも処罰しました。
この戦いよって、松前藩は国後島や道東部のアイヌの人たちを制圧し、その支配に組み込ん
でしまいました。
この戦いがアイヌの人たちの和人に対する戦いの最後となりました。
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