2010/01/14 00:36:27
アイヌ文化 7
徳川幕府は
国後・目梨の戦いの10年後、アイヌの人たちの苛酷な漁場労働と
不正による場所経営と、ロシアの南下に対する警戒から、
寛政11(1799)年に蝦夷地の南半分-東蝦夷地、そして文化4(1807)年
からは松前藩を梁川 (現在の福島県)に移し、
蝦夷地の北半分-西蝦夷地と北蝦夷地を直接治めました。
アイヌの人たちがロシアの懐柔策にのせられないように、
幕府はアイヌの人たちと公正な交易を行うとともに、本州他藩に蝦夷地防備
の兵を派遣させました。
交易による収益は蝦夷地経営に使いましたが、
道路開削、防備体制の拡大などは交易の収益を上回るものになりました。
ロシアに対する警戒心も薄れ、松前藩の復領運動もあって、文政3 (1820)年には
蝦夷地は松前藩に戻されます。
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