2010/12/21 00:51:04
北方領土問題 6
北方領土問題の始まりでもある
江戸時代後期の国内事情を、大黒屋光太夫に戻って書きます。
大黒屋光太夫大黒屋光太夫
<宝暦元年(1751年) - 文政11年(1828年)>
は江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とし
白子から江戸への回船の船頭をしておりました。
大黒屋光太夫は天明2(1783)年12月9日
いつものように紀州藩の年貢米や伊勢木綿などの江戸向けの物資を積み
光太夫以下18人の乗組員を乗せた神昌丸は白子港を出航しました。
大黒屋は遠州灘にさしかかった頃、暴風雨にあい遭難、神昌丸は北に向けて漂流。
食料は年貢米で何とか工面したが、ビタミン不足からか1人が死亡しました。
漂流すること8ケ月、神昌丸はアレウト(アリューシャン)列島のアムチトカ島に
漂着したが、神昌丸は大風のため座礁してしまいます。
アムチトカ島とは、アメリカ合衆国アラスカ州の南西に伸びる
アリューシャン列島のラット諸島に属する島で約64kmの長さがあります。
アムチトカ島は18世紀末にはアザラシなどの毛皮を求めるロシア商人が来島し
交易を目的として常駐していました。
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