2012/09/08 09:23:05
厚岸(あっけし)の町 7
江戸幕府将軍の使者近藤重蔵(守重)が残した「碑文の大意」が、
厚岸神社境内に建てられている。
厚岸神社は国泰寺を上ったところにあり、その創建も書かれている。
全文を二日間に渡り紹介する。これを読めば、当時の蝦夷地の状況がわかる。
碑文の大意 1 わが国の東方の急所を守る要地・北方の要所の大切な港としては
厚岸が第一の重要な港である。これにつぐ港として柄鞆(室蘭)があるが、
中間にえりも港がある。
厚岸湾の入口に島があり大黒港といふ。
前に入江と岬があり、バルサンといっている由なので、私は東山(ハルサン)と名づけた。
南は釧路連なり、西は風廉(フウレン)に及ぶ。
北は斜里に達し、東は琵琶瀬に至る地形で、まことにこれは後世まで、東方第一の重要な港である。
続く
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