2012/09/09 05:17:28
厚岸(あっけし)の町-----厚岸神社 8
写真は厚岸神社、この境内に碑文が建てられている。
碑文の大意 2 私、守重(重蔵)は将軍の命を奉じ、東や北のえぞ地を巡察した。
4月に江戸を発し、5月松前着。食糧や服装を用意し、室蘭、えりもを越え、
6月厚岸に寄った。
ここで船を準備し従卒を揃へ、7月海を渡りエトロフに到着。
この航海は大変荒れたが神様の御加護を頼み帆走したので安全であった。
少人数の旅で野宿もしたが、官命を受けた私どもは無事であった。
帰り来て厚岸に泊まり、およそ一か月留まった。
そこで一棟の神社を創建し、北海の地と住民の人心を新たした。
かやぶきで、土の階段の質素なおやしろ、その神前でどぶろくの樽から、
杯を頂戴した
。いささか、住民の耳目の向うよりどころとし有難い江戸の御成光がここに
及ぶことを歓び感ずる次第である。
大日本寛政十年戉午(1798)十月十日 庚子江戸幕府将軍の使者である。
近藤重蔵(藤原守重)
写真は厚岸神社、この境内に碑文が建てられている。
碑文の大意 2 私、守重(重蔵)は将軍の命を奉じ、東や北のえぞ地を巡察した。
4月に江戸を発し、5月松前着。食糧や服装を用意し、室蘭、えりもを越え、
6月厚岸に寄った。
ここで船を準備し従卒を揃へ、7月海を渡りエトロフに到着。
この航海は大変荒れたが神様の御加護を頼み帆走したので安全であった。
少人数の旅で野宿もしたが、官命を受けた私どもは無事であった。
帰り来て厚岸に泊まり、およそ一か月留まった。
そこで一棟の神社を創建し、北海の地と住民の人心を新たした。
かやぶきで、土の階段の質素なおやしろ、その神前でどぶろくの樽から、
杯を頂戴した
。いささか、住民の耳目の向うよりどころとし有難い江戸の御成光がここに
及ぶことを歓び感ずる次第である。
大日本寛政十年戉午(1798)十月十日 庚子江戸幕府将軍の使者である。
近藤重蔵(藤原守重)
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