2013/06/08 16:12:36
仙台藩の伊達家一族の北海道移住
名乗り出たのは、6支藩で、いずれも伊達家の親戚筋にあたる支藩であった。
申請を受けた新政府は、各支藩に移住先を割り当てた。
岩出山領 領主 伊達邦直 空知郡・札幌郡
亘理領 領主 伊達邦成 有珠郡・虻田郡
白石領 領主 片倉邦憲 幌別郡
角田領 領主 石川邦光 室蘭郡
宮床領 領主 伊達宗広 空知郡・札幌郡 〔後日、申請を取り下げ〕
涌谷領 領主 亘理胤元 空知郡・札幌郡 〔後日、申請を取り下げ〕
明治3年から始まった仙台藩の移住は、明治14年までの約10年間に、
岩出山藩612人、亘理藩2,648人、角田藩278人、白石藩851人、柴田藩123人の
合計4,512人であった。
特に開拓に成功し、定着したのは、旧岩出山領伊達邦直と旧亘理領伊達邦成であった。
岩出山領は、家臣吾妻謙ら努力で、はじめから困難な条件にもかかわらず、当別町に定着した。
そして亘理領は、家老田村顕允の統率と指導によって紋別の地を開き、伊達市の名を残した。
2013/06/07 15:25:06
吾妻謙(あづまけん・又はあがつまけん)
1869年(明治2年)9月、岩出山領主伊達邦直は仙台藩の中で先陣を切って
北海道開拓を発表した。
家老であった吾妻謙を開拓主事に任命、北海道開拓志願書を新政府に提出したのである。
明治維新の際に奥羽越列藩同盟に参加した岩出山は官軍と交戦した。
山形で勝ち戦功を挙げたが、味方の多くは官軍に下ったため戦に敗れる。
戦後、それまで14000石あった禄高を65石に減封された上、城は召し上げられ家臣の士分
を剥奪された。
侍ではなくなった家臣たちは帰農を命ぜられたが、邦直は彼らが路頭に迷うことを憂い、
私財を処分して得た資金で、新政府の推し進めていた北海道開拓を志願する。
願は許され、1869年(明治2年)に石狩国空知郡の支配を命ぜられた。
しかし、この空知郡は内陸部に位置し、物資の輸送等が困難であったことから、海岸近くへ
の移転を申し入れた。
叶わず再度家老の吾妻謙が太政官に申し入れたところ、今度は不届きを理由に吾妻が
自宅謹慎を命ぜられる始末であった。
(写真は、当別神社)
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