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上之国勝山館跡 (上ノ国町)

 

勝山館ガイダンス施設

 

 14世紀末から蝦夷地道南には渡党と呼ばれる
和人勢力が道南12館と
f1090a1a.jpeg呼ばれる居館に居住し、アイヌと
交易することで経済基盤をなしていました。

しかし長禄元(1457)年に「コシャマインの乱」
と呼ばれるアイヌ
の武力蜂起が起き、道南12館は
花沢館を除き落城しました。

「コシャマインの乱」を鎮めたのは
上の国守護蛎崎季繁の客将武田信広
(松前氏祖)で、
信広は乱後に花沢館主蛎崎季繁の養女で安東政季
の娘を娶り、翌年洲崎館を築き居館としました。

その後、信広は地の利があり眺望の利く勝山館を築き移り住みました。

勝山館の築城年は不明
文明5(1473)年に館神八幡が建立
されていることから
この前後と考えられます。

永正11(1514)年に
2代目光広は松前大館に本拠を移すと、勝山館
は城代支配となりました。

その後、享禄2(1529)年の「タナケシの乱」
天文5(1536)年
「タナコナの乱」のアイヌの武力蜂起や
天文17(1548)年には
城代基広の惣領家への叛乱等で
勝山館周辺は絶え間なく武力衝突が起こっていました。

文禄5(1596)年に松前慶広は豊臣政権下の大名として認知され、
この頃上の国に檜山番所を置き、勝山館を廃したとされます。

 

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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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