2011/07/29 00:30:02
北海道北斗市当別4丁目3-1
川田 龍吉(かわだりょうきち)
安政3年3月14日(1856年4月18日)-1951年(昭和26年)2月9日)。
実業家。
40歳の時に、父小一郎が男爵の爵位を授与されますが翌年に急死。
長男の龍吉が男爵を継承。
土佐藩士川田小一郎の長男として、
土佐郡杓田村古新地(現・高知市旭元町)に生まれた。
維新前の川田家は「年寄」(庄屋補佐)を勤める家柄で豊農であり
郷士という身分にありましたが、郷士は半農半の生活でした。
父親は岩崎弥太郎とともに三菱グループ創設に尽力し、
日本銀行3代目総裁となった川田小一郎。
英米系医学を教える慶應義塾医学所に入塾するが一年たらずで中退。
造船技術を学ぶために21歳でイギリスへ留学。グラスゴー大学で機械工学を
学び、ロブニッソ造船所で舶用機関術を修めましたが、しばしばスコットランド
の農村を訪れ、そこでじゃがいもに出会い「偉大な工業国は偉大な農業国」
であることを知ります。留学は7年もの長きに及びました。
イギリス留学時代、イギリス人女性ジェニーと知り合い恋人
となり、デートでは畑を眺めたり、温かいじゃがいもを食べたり
することが楽しみでした。
二人は順調結婚を約束しましたが、当時は国際結婚が難しい
時代で、承諾を得るために帰国したものの父親の大反対で婚
約は成立しませんでした。
ジェニーとの結婚は叶いませんでしたが、生涯に渡り誰に言う
ことも無く胸の中に秘めていました。
それは、川田龍吉男爵が亡くなってから30年後に発見された
金庫の中で大切に保管されていた金髪と90通にも及ぶラブレ
ターで明らかになりました。
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