イギリスから帰国後
三菱製鉄所、日本郵船を経て1893年(明治26年)
横浜船渠会社取締役となり
1897年(明治30年)社長に就任。
その前年、父急死のため男爵を継いでいる。
1903年(明治36年)社長辞任。
この間、横浜船渠在勤当時の1901年(明治34年)、横浜の貿易商会
がアメリカから輸入したロコモービル社製蒸気自動車を購入、自ら通勤
などの際に運転した。
このことから、龍吉は日本最初のオーナードライバーであるといわれている。
この蒸気自動車はその後北海道にも持ち込んで使用。
1970年代後半に復元修理が行われ、復活走行も行っている
(1979年にNHK特集で龍吉を取り上げた際にも、その中のドラマパートで
龍吉を演じた愛川欽也が乗車して走行した)。
現在は男爵資料館(後述)で保存展示されており、国内に現存する最古
の自動車とされる。
1906年(明治39年)日露戦争時の造船不況に喘いでいた函館ドックは、
技術家であり造船事業経営の経験のある龍吉に会社再建の白羽の矢を
立て社長に招聘。龍吉は北海道へ渡ります。
強力な人脈を通じた株主探し、横浜から信頼の置ける技師や職工を採用、
職制の改革等、積極的な策を実践して会社再建に成功。
また、函館~当別の連絡船を運航する等、地域にも貢献しました。
1908年(明治41年)函館市の風景が
イギリスに似ておりジェニーのことを思い出しました。
ジェニーと一緒に食べたじゃがいもをこの地で育て食べてみたいと
思い立った川田龍吉男爵は、イギリスやアメリカから様々な種いも
を取り寄せて試験栽培を行ないました。
その中で「アイリッシュコブラー」という品種が北海道の地に
一番適しており、普及させることに努めました。
後に、このじゃがいもは「男爵様が育てたいも」から農家が
「男爵いも」と名付けられます。