2011/07/31 00:50:33
1911年(明治44年)、函館船渠を退社。
函館ドックの経営が軌道に乗ったところで勇退した龍吉は、残された
生涯を北海道農業近代化のためにささげることを決意し、当別におよそ
1,200町歩の山林農地の払い下げを受けて農場を建設。
日本の農業が鍬や鎌、牛や馬の力を利用した農耕具を使用していた
時代に、龍吉はアメリカから大型農機具を輸入し近代農業を実践しました。
当時の川田農場には西洋式の牛舎・サイロ・風力発電などもあり、その風景は
近在に類を見ない威容を誇っていました。
90代になり妻も子もこの世を去り「北海道で生涯を終えたい」と思い、
92歳の時にトラピスト修道院で洗礼を受け、3年後に生涯を終えました。
1978年(昭和58年)、渡島当別の川田農場の跡地に事績や関連資料を
展示紹介した男爵資料館を開設。
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