2010/01/06 00:59:46
赤心社
津田仙は成田空港近くの佐倉の藩士で、蘭学を学んでいた。
明治維新前にはすでにチョンマゲを切っていたという改革派で、三度
の海外留学をしている。
特に近代農業に興味を持ち、学農社農学校(現青山学院)を創立し、
更に農学雑誌を出版し近代農業を普及した。
山梨のワインも津田の指導によるものだが、仙のこころざしを持ち
連絡を取りながら組織されたのが赤心社だった。
社長は神戸で缶詰工場を経営していた鈴木清。
明治14年春出発した広島、兵庫から募集した第1回目の移民54戸は、
途中船や気候の悪条件に阻まれ到着が大幅に遅れた。
8月鈴木が視察に来たときには悲惨な状況であったという。
そこへ津田仙がかけつけ、一時開拓使の嘱託をしていたこともあって、
農業指導者の派遣や牛を導入させ回復をしたのだという。
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