2010/01/05 00:58:31
静内から浦河方面へと向かうと手前に荻伏(おぎふし)という
小さな町がある。
旧名は元浦川(河ではない)。
役場に隣接して赤心社記念館なる木造建築物がある。
北海道の開拓の始まりは勿論先住民によるが、和人が住んでいたの
は海岸線だけ。
内陸の田畑や道路開墾は明治になってからだった。
その担い手は士族救済とロシア南下阻止を目的とした屯田兵と株式会社方式で
開拓移民を募った開拓結社だった。
浦川の赤心社は開拓移民の北海道一番乗りで、理想に燃えた人々であった。
それもそのはず、当時北海道をアメリカへメイフラワー号で移民したピューリタンに見立て
西洋式農業開拓となえたのが津田仙で、わずか7才でアメリカへ留学し津田塾の創立者と
なった津田梅子の父である。
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