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北見市

125,977人(人口、2009年3月31日)

市名の由来は、松浦武四郎が命名した国名「北見国」から。

「北見」の由来は、過去のこの地域の通称「北海岸」と快晴の日
に樺太が「見」える事から、hakka.jpg一字ずつとったもの

北見市(きたみし)は、網走支庁管内にある市。
網走支庁管内で最大の人口を抱え、2006年には合併で道内8位
の人口となったが、面積が広大なため人口密度は低い。

明治2年(1869)7月に北方開拓のために開拓使が設置され、
同年8月、蝦夷を北海道に改め、これを11カ国86郡に分けました。
当市の地域は宗谷を含む「北見国」8郡のうち、常呂郡とされました。

明治15年(1882)開拓使が廃止され、札幌・函館・根室の三県が置かれ、北見国は根室県の圏域に入りました。明治16年、常呂村に常呂外六ケ村戸長役場が置かれたのが、当市行政の始まり。

 

明治19年(1886)には、三県を廃止し、北海道庁を設置し、
本格的な開拓の手始めとして道路網の整備に着手しました。
当地域では中央道路の一環として囚徒を使役して、網走~上川間の「北見道路」を明治24年(1891)完成、あ
わせて各所に駅逓が置かれ、以後内陸部の開拓は飛躍的に進みました。

常呂村では明治28年(1895)、高知県の土佐団体が入地したのが草分けで、
明治31年には岐阜団体が入地しました。
野付牛村では、明治30年5月に坂本竜馬の甥、坂本直寛が率いる高知県の移民団、北光社が入地、同年6月と翌31年9月には屯田歩兵第4大隊が入地、開拓の主力となりました。
明治30年(1897)に屯田歩兵第4大隊第1中隊が入地した端野村は、大正10年に野付牛町から独立。昭和36年(1961)に町制を施行、端野町となりました。玉ネギ、ビールに欠かせない大麦など、「大地のレストラン」として多種多様な農作物が生産されています。

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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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