音威子府村(おといねっぷむら)
2009/07/19 06:08:21
音威子府村
(おといねっぷむら)
879人(人口、2009年3月31日)
音威子府村(おといねっぷむら)は、上川支庁北部に位置する村。
明治37年開拓の鍬がおろされた。
北海道内で最も人口の少ない自治体かつ
道内で唯一人口が1,000人以下の地方公共団体である。
「森と匠の村」を標榜し、豊富な森林資源を生かした工芸による
村おこしを推進している。
音威子府という地名はアイヌ語の「オ・トイネ・プ」
(河口・土で汚れている・もの)に由来し、
音威子府川が天塩川に合流する地点が泥で濁っていたことから
の命名とされる。
音威子府の名が初めて登場するのは
1797年(寛政9年)の「松前地並西蝦夷地明細記」で、「ヲトヱ子フ」と表記されている。
当時はテシホ場所に属していた。
1857年(安政4年)に松浦武四郎が天塩川流域を訪れ、
現在の音威子府村筬島(おさしま)付近でアイヌの長老の元に宿泊、
それによりアイヌによる北海道(蝦夷地)の通称「カイナー」の意味を知る。
「カイ」はこの国に生まれた者、「ナー」は尊称であった。
アイヌと深い交流のあった松浦武四郎は、蝦夷地を命名する際に「アイヌの国」を意味する
「カイ」を取り入れ「北加伊道」という名を提案、これがのちに「北海道」となった。
しかし近代から現代のアイヌ語研究では「カイ」に「この国に生まれた者」という意味は見出せず、
この記述は謎の一つとなっている。
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