2010/07/05 00:09:32
北海道出身の作家
川内康範 2
1975年から監修として携わったテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』は、1994年まで20年弱にわたる長寿番組となった。
1984年のグリコ・森永事件では、週刊誌上(週刊読売)にて犯人に対し「私財1億2000万円を提供するから、この事件から手をひけ」と呼びかける。犯人は川内の申し出に対し「月光仮面の 川内はん あんたも ええ男やな」と前置きした上で、「けどなわしら こじきや ない」と拒絶したため(1984年11月22日付声明文)、このことで事件が収束に向かうことは無かったものの、大きな話題を呼んだ。
かつてはメディアの露出も多く、多数の週刊誌連載を抱えていた。
晩年まで地元紙である『デーリー東北』には時事問題等についての寄稿や投稿が多かった。
晩年まで地元紙である『デーリー東北』には時事問題等についての寄稿や投稿が多かった。
2000年代あたりからは、年齢及び体力的な問題もあり、公の場への登場は控えていたが「おふくろさん騒動」以後は再び公の場へ出る機会が増え、晩年は国民新党顧問に就任した。
2007年2月、歌手の森進一に対し今後自作曲の歌唱禁止を通告する会見を開き、いわゆる「おふくろさん騒動」が勃発。数十年ぶりに時の人となった。この騒動は新聞の社説にまで取り上げられた。年末には薬害肝炎問題の対応に苦慮する福田康夫総理にアドバイスしたとも言われる。
2008年4月6日午前4時6分、青森県八戸市の病院にて慢性気管支肺炎の為、88歳で死去。
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