2012/12/04 10:11:07
国道229号 16 寿都町
雷電トンネルを抜けると、そこは江差追分の
「忍路高島 及びもないが せめて歌棄(うたすつ) 磯谷(いそや)まで」
と唄われた寿都(すっつ)の古い海岸線に入る。
寿都町には、磯谷から政泊までの229号線に9の海神社がある。
この町も長い歴史を持つ鰊で栄えた港町だ。
歌棄(うたすつ)には「追分記念碑」があり、
向かいあった場所には明治12年に橋本与作が建てたといわれる
「鰊御殿」がある。
橋本与作は仕込屋というのは網元や漁師に品物や金を貸し、代金
を数の子、身欠鰊、鰊粕等で返済してもらってこれを売る商売。
創業者橋本与作は長栄丸、金栄丸など五百国積みの自家弁財船
で膨大な利益をあげ、当時で最高級の家を建てたのがこの建物。
また、義経の家臣、佐藤継信の末裔(まつえい)が建てた漁場建築
「佐藤家」がある。
この建物には現在も人が住んでおり、ニシン場時代の資料や文献
が保管されている。佐藤継信は源平屋島の合戦で義経めがけて飛
んできた矢を身代わりになって受け、戦死した忠臣といわれている。
建物内の長押には、家紋の「源氏車」をかたどった金具を打っている。
佐藤家は、嘉永5年(1852)以降に歌棄、磯谷二場所の場所請負人
を勤め、維新後は駅逓取扱人を命ぜられた同地方随一の名家。
積丹半島開発および漁法改良に尽力した開発功労者としても著名である。
(写真は、佐藤家)
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