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国道229号 17 弁慶岬

寿都の市街地を過ぎると政泊に達し、寿都と島牧の
境界に突き出た岬が弁慶岬である。

 更科源蔵の「アイヌ語地名解」によれば、この岬の先端が
裂けたようになっていてこの岩と岬の間をベルケイ(裂けたところ)
と言ったのを和人がベンケイとなまったという説。
 松浦武四郎の「西蝦夷日誌」には、ここをベニツケウと称し、
その形が獣の背に似ているところから付けられたという説。
 
 一方、義経伝説は武蔵坊弁慶が甲冑を曝されたところで
弁慶岬ともいう。奥州を逃れた義経・弁慶一行は蝦夷地に渡り、
この地に滞在していた。
 弁慶の舎弟ともいうべき常陸坊海尊が、義経再挙の兵を募って
蝦夷へ向かったという情報を得た弁慶は、毎日毎日、この岬の先端
に立って海尊の到着を待っていたが、海尊軍団の船影を見ることは
できなかった。
 そんな弁慶の姿を見ていたアイヌたちは、この岬のことを、弁慶が
同志を待ちわびていた岬ということから、いつしか弁慶岬と呼ぶよう
になった伝説が残り、その姿を再現した銅像が建てられた。

昭和63年、弁慶岬に高さ3.6mの大きな弁慶像が建てられた。
台座にはこの地で援軍の船の到着を待っていた弁慶の気持ちを表わす
「想望」の文字が台座に刻まれている。

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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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