⑩平取町 義経神社(義経資料館)
北海道の中で、義経伝説が一番多いまち・平取町。義経が穀物の栽培法を伝えた事などから、平取に住むアイヌの人達は義経を "判官カムイ"と尊称し、敬った。
平取町の義経公園には、笹りんどうの紋入りの陣太鼓、太刀や鎧、 「義経公北之方傅記」、 錦絵などさまざまな義経の資料が収められている。
昭和11年(1936)に公園化が実現、昭和62年に歩道、車道の整備、 樹木の植栽、弁慶の池を造成するなど平成元年完成、 四季を通して町民の憩いの公園として親しまれています。
義経伝説にちなんだ弁慶池、弁慶橋、義経神社、義経資料館などがあります。 また、公園内には"北海道の銘木"樹齢300年以上の栗の木、 中心を流れるオバウシナイ川の清流など豊かな自然がいっぱいです。
義経のことならなんでもわかる。義経資料館 (平取町、義経公園内)
義経一行は、青森から北海道の白神(福島町)に渡り、 西海岸を北上して羊蹄山麓を廻り平取に入ったそうです。 平取に住むアイヌの人たちを外夷から守ったことから "ハンガンカムイ"と尊称されていたということです。 その後は、新しく部下に加わった若者や藤原氏の残党とともに 大陸に渡ったとも伝えられています。
平取町の義経公園には、笹りんどうの紋入りの陣太鼓、太刀や鎧、 「義経公北之方傅記」、 錦絵などさまざまな義経の資料が収められています。
ご神体の義経をまつる義経神社 (平取町、義経公園)
寛政10年(1798)近藤重蔵が東蝦夷地を探検した時、 平取に住むアイヌの人たちが、 義経を"ハンガンカムイ"と尊敬をこめて呼んでいたことを 知りました。
そこで、当時江戸神田で大仏などを作っていた橋善啓に、 義経公の像を作らせて平取に寄進安置したと記録に残っています。
木像は、高さ1尺ほどで、 ご神体とご神台の裏面にそれぞれの名前が刻まれています。 また、義経神社の紋章は笹りんどうですが、 これにちなんで平取町の町章にも笹りんどうが デザイン化されています。
祭りのハイライトを飾る神輿と武者行列 (平取町)
昭和3年義経神社に寄進されたもの。屋根の頂上には鳳凰が置かれるなど豪華な装飾が施されています。 毎年8月15日の義経神社大祭には、武者行列の中心となって担ぎ出されます。