2010/01/02 00:30:46
松前藩は砂金堀場を守るために
オニビシに上流側の狩猟権を与えて対抗させていた。
シャクシャイン側は河口の高台にチャシ(砦)を建て監視し、
オニビシも出城を建てて対抗した。
こんなにらみ合いが1669年将軍家光の頃から続いていた。
ことの発端は両勢力の酒宴でオニビシ配下の者がシャクシャイン側に殺されてしまう。
以来6年間戦いを続けるが、ある日オニビシ軍の急襲でシャクシャイン側の
首領カモクタインが戦死。
難を逃れたシャクシャインとオニビシはそろって福山(松前)まで行き和解をする。
だが平和は続かず1662年再び戦いを開始する。
そこへ藩命を受けて調停に乗り出した砂金堀元締め文四郎の館で
オニビシはシャクシャインに討ち取られてしまう。
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