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札幌市 西区

210,275人(人口、2009年9月30日)e61ce035.gif

 

西区(にしく)は、札幌市の10区の中では2番目に大きい面積。

左股川、琴似発寒川を境にした東側一帯の旧琴似町地域と
西側一帯(発寒地区は旧琴似町に含む)の旧手稲町地域と
からなっています。

これらの地域には、和人の入地以前からアイヌ民族が生活を営み独自の
文化を築いていました。

旧琴似町地域の中で、和人の居住が入地記録上早くから見受けられるの
発寒地区です。


安政4年に幕府旗本の武士20名とその従者が辺境の警備と開墾のために入地しましたが、
一村を形成するには至りませんでした。

その後、明治4年に開拓使が現在の南4条通以南に近在の移住者を集めて作った辛未(しんび)村
から44戸が同年、八軒、二十四軒地区などに移住し開拓に従事しました。

しかし、本格的な開拓は屯田兵によるところが大きく、明治7年の屯田兵例則の制定が開拓に大きな
影響を与えています。
明治8年には仙台亘理(わたり)藩(宮城県)、斗南(となみ)藩(青森県の南部地方)、庄内藩(山形県)
の士族たちが琴似地区(現在の琴似本通沿い)に、翌9年には発寒地区(現在の稲荷線沿い)に
それぞれ入植し屯田兵村を形成しました。

一方、旧手稲町地域の開拓は、明治4年西野地区に越後から5戸が入植したのが始まりとされていま
すが、本格的なものは明治5年仙台藩(宮城県)白石城主片倉小十郎の家臣たちが宮の沢地区に
47戸入植
したのが最初です。
その後、明治20年までに西野、平和、福井などの地区に広島県人や福井県人などが相次いで入植。

昭和30年になり琴似町が、42年には手稲町がそれぞれ札幌市と合併。

その後の人口増加に伴い農地は次第に住宅地と化し、街は大きく様変わりしました。

昭和51年には地下鉄東西線が開通したことにより-層の人口流入が続き、
平成元年11月6日、西区を分区して手稲区と新しい西区が誕生しました。

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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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