吉田 善太郎(よしだ ぜんたろう)2
善太郎の死後
吉田一家は、善太郎の意志を受け継ぎ、農耕・牧畜業に専念する。
1918年(大正7年)12月1日善助より政府に、札幌郡白石村字野津幌(現:江別市野幌)の土地(畑五段五畝十七歩)を寄贈する。
1921年(大正10年) 善助の三男善哉が誕生する。
1924年(大正13年) 善助の所有地、篠路町拓北(現・北区あいの里)に水田耕作を行うため、旧石狩川(現:茨戸川)より灌漑用水路を引く、拓北用水路が開始。
1929年(昭和4年) 補修工事が施され、完成。
1928年(昭和3年) 善助は権太郎(善太郎の弟)の影響により、白老社台地区に移住し、アメリカよりサラブレッドを購入し、社台牧場を創設。経営・育成を行う。後に善哉は、千葉社台牧場(後の社台ファーム千葉)を設立し独立(社台グループ)、サラブレッド牧場の経営・育成に専念。
1932年(昭和7年) 善三の牧場地(現:東月寒公園一帯)の土地を黒澤酉蔵(雪印乳業創設者)の弟、黒澤和雄(豊平町議員)に売却(サイロ・畜舎は、後の東月寒白樺会館となる)。
1933年(昭和8年) 牧場地(現:八鉱学園一帯)の土地を栗林元二郎(現:八紘学園創設者)に売却する。
史跡・跡地など
吉田川
旧北海道農業試験場(現:北海道農業研究センター)敷地内の小川より水を引く灌漑用水路(吉田用水)を開拓し、下流に水田を(現:清田区北野地区)開設。後に川は整備され吉田川と命名された。
吉田善太郎功労碑
1910年(明治43年)用水路を作り、水田耕作や土地の寄贈など月寒の発展に貢献したことにより月寒公園(月寒神社境内)に建立。
吉田用水記念碑
1919年(大正8年)10月に用水路創設の起点地(現:清田1条1丁目北海道コカ・コーラボトリング)に建立。
吉田川公園
吉田川下流域(豊平区体育館付近)に隣接する公園。川の名称より命名。
吉田山公園・吉田山2号公園
かつて南郷一帯の丘陵(現:南郷18丁目駅付近)を吉田山と称されており、その名称より命名。
旧吉田農場・牧場→旧黒澤牧場畜舎・サイロ(現:東月寒白樺会館)