吉田 善太郎(よしだ ぜんたろう)1
1861年4月 – 1916年は、北海道札幌市の開拓功労者の一人。
陸奥国南岩手郡上田村(現:岩手県盛岡市)出身。
豊平村農会初代会長・藍綬褒章受賞。
開拓範囲
旧北海道札幌郡の開拓地・所有地
月寒村東月寒地区→現:札幌市豊平区(月寒東・羊ケ丘・福住)地区
白石村大谷地地区→現:札幌市清田区(北野・清田)地区
白石村大谷地地区→現:札幌市白石区(栄通・南郷・本通南)地区
白石村野津幌地区→現:江別市野幌地区など
来歴
1861年(文久元年)4月 善太郎の父、吉田善治の第一子として出生。
1871年(明治4年) 廃藩置県のため北海道札幌郡月寒村(現:豊平区月寒中央通7丁目月寒公民館付近)に入植し、木炭製造をする。
1881年(明治14年) 善治が死去。善太郎が家業(木炭製造)を受け継ぐ。
東月寒(現:栄通18丁目コープさっぽろルーシー店付近の公園一帯)に移住。
吉田農場(現:東月寒公園一帯)を開設し、東月寒の地を開拓し、農耕業・木炭製造業を営む。
1891年(明治24年) 灌漑用水路「吉田用水」(現:吉田川)が完成し、水田耕作が普及する。
善助が誕生(善太郎と前妻の間に一男一女を授かり、その後、後妻との間に四男一女を授かる)。その後、善三が誕生。
1893年(明治26年)、善太郎の敷地(現:栄通しらかば公園)付近に旧大谷地簡易教習所(現:札幌市立大谷地小学校)を創設に貢献。その後、1899年(明治32年)に現在の地に移設の際にも貢献した。
1897年(明治30年) 吉田牧場を開設(現:八紘学園牧場地)し、牧畜・農耕業を営む。
善助をアメリカに酪農留学させる。
1904年(明治37年) 畜舎・サイロ(現:八紘学園資料館)が完成。
乳牛(ホルスタイン種)20頭をアメリカより輸入(日本初の試み)。
1909年(明治42年) 別荘(現:八紘学園栗林記念館)が完成。
1916年(大正5年)死去。