2014/04/05 07:23:51
タイトル「神威岬 (積丹町)」
油絵 F4号 縦240×横340
かつては、この方面には道が無く、北海道で唯一車が通れない場所でした。
トンネルの開削技術が進み、ようやく道ができたのは平成8年、これで北海道一周
を沿岸で走れる2500キロの旅が可能となったのです。
田辺三重松が、この場所で描いたのは1964年(昭和39年)のことで、この絵は旧拓殖
銀行のカレンダーになりました。
今は山肌は緑に覆われてしまっているのですが、田辺が描いた時は山肌が見えてい
たのでわからなかったのです。視点はまだ低く海岸まで降りたところでした。
私は20年に渡って北海道を回っていますが、この田辺画伯の描いた風景を探してい
ました。
ようやく、一つ課題が解決しました。
2014/04/03 16:40:12
タイトル 「菜の花畑 (滝川市)」
油絵 F3 縦220×横273
菜の花といえば、淡路島の高田屋嘉平衛が有名ですが、毎年5月中旬
から6月上旬に滝川市内には菜の花畑が広がります。
その面積は約180haと日本一の作付面積を誇っています。
(滝川市とは、札幌から12号線を北に80キロのところです)
おもに江部乙(えべおつ)地区の丸加高原周辺に点在し、黄色い花畑が
じゅうたんのように広がります。
札幌から車で約2時間、「たきかわ菜の花まつり」が開催されます。
江部乙は、滝川の市街地ではなく旭川方面の外れにあり、今は「道の駅」
があるところです。
この地は、明治20年代に屯田兵によって開拓された地域です。
しかし、屯田兵の兵舎に最初に入ったのは「十津川郷の人たち」でした。
明治22年奈良の大洪水で家を失った人たちの救済で、永山武四郎の計らい
で新十津川に移住しますが、北海道に着いたのは冬。
この兵舎でひと冬を過ごし春になって石狩川を渡ります。
一兵舎に5家族が入ったとあります。屯田兵の兵舎を見た人はわかりますが、
どこで5家族が寝たのかと思います。
司馬遼太郎が、兵舎は人が暮らせる状態ではないと書いたところです。
2014/04/02 06:16:30
タイトル 「積丹半島 (野塚キャンプ場から)」
油絵 変形 縦260×横610
アイヌ民族には文字がありませんでした。
全て語り継がれて後世に伝えていたのです。
明治に入り松浦武四郎が蝦夷を北海道と命名し、アイヌ語を頼り
に地名を「漢字の当て字」でつけていきます。
北海道に内(ない)や別(べつ)が多いのは、そのためで、川の意味
だそうです。
積丹は「シャク(夏)」と「コタン(村、或いは郷土)」の二語
を合わせたもので、「シャクコタン(夏・場所)」という意味か
らきているといいます。
夏が最も似合う場所は「積丹(しゃこたん)」であることで異論を
唱える人はいないでしょう。
「北の国から」の倉本聰は東京暮らしが嫌になり、北海道移住を
決意。 RV車で全道を駆け巡り、決めた場所が積丹の美国でした。
しかし、岩盤が固く水を引けないことからやむなく富良野に行く
ことになりました。
積丹に住んでいたら「北の海から」のドラマだったかも知れません。
積丹町は積丹半島の先端部を占め、美国(びくに)、入舸(いりか)、
余別(よべつ)などの漁港があります。ソーラン節のふるさとでも
あり、毎年ウニ漁が盛んで名物でもあります。
夕日の絶景は余別からですが、この絵は、昨年夏に行った時に
野塚キャンプ場から描いたもので、左側の神威岬の半島を描いたも
のです。右側は積丹岬の半島になります。
積丹岬も描きましたので、そのうちに掲載します。
2014/04/01 11:51:35
タイトル「白鳥 (ウトナイ湖)」
油絵 0号 縦140×横180
ウトナイ湖は、札幌から室蘭に向かう国道36号に面しており、
苫小牧市の入口にあります。
国指定鳥獣保護区、ラムサール条約の登録湿地で、マガンや
ハクチョウの集団飛来地でもあります。
渡りの季節には数万羽が飛来しますが、幾羽はこの地で過ご
しており、一年を通して見ることができます。
この湖は札幌から1時間30分ほどなので、家族で良く訪れた
ものです。いつ訪れても、湖畔に人は少なく、のんびりと
白鳥を眺めることができました。
湖畔には環境省のウトナイ湖野生鳥獣保護センターと、ウト
ナイ湖サンクチュアリネイチャーセンターがあります。
2009年に、この両センター隣に「道の駅ウトナイ湖」が開設
されました。
開設した当時は、高額なレストランでしたが二度目に行った
時は、早々に格安に切り替えられており人気の道の駅となり
ました。
しかし、旅行者やドライバーのたまり場となり、昔のような
のどかな湖はなりました。