2012/11/15 07:53:38
雄冬岬(国道231号) 3
雄冬岬の中心に日本海岸は、石狩、厚田、浜益、増毛、留萌、小平と
江戸時代から鰊の漁場として栄えただけに、道路開削の努力は江戸から続けられていた。
1857年(安政4年)、浜益と増毛両場所の場所請人を兼ねていた
伊達林右衛門が自費で道路を開削した。
だが、それは道と呼べるものではなかった。
明治7年にここを通った開拓使の御雇い外国人技師ライマンは
「鹿の作りしものならん、人間の建築とは思われ難し」と報告書に述べている。
日本海岸から鰊が去ると、増毛、浜益とも衰退し、この山道も大正の後半には
まったく忘れられてしまった。
雄冬岬、特に浜益村千代別から雄冬の間は安政期以降まったくの手付かずだった。
(写真は増毛から見た暑寒別岳)
2012/11/13 07:25:53
雄冬岬(国道231号) 1
石狩館内浜益区と留萌館内増毛町の間にある「雄冬岬・おふゆみさき」(石狩市浜益区)は、
茂津多岬(島牧郡島牧村)、神威岬(積丹郡積丹町)と並んで蝦夷の日本海三険岬と呼ばれていた。
また、その厳しさゆえに道路が未整備で訪問が困難であったことから
「北海道三大秘岬」(室蘭の地球岬・根室の落石岬)の一つともいわれる。
標高1491mの暑寒別岳を中心に雄冬岳、浜益岳、郡別岳といった
標高1200m級の山々が連なり、すそ野は切り立った崖となり海に落ち込んでいる。
昭和28年、札幌―留萌間は国道231号に指定されたが、
自動車が通行可能なのは、札幌から厚田村を経て浜益村の一部までと増毛―留萌間だけ。
国道231号はながく「幻の国道」といわれていた。
2012/10/20 09:22:58
ムツゴロウの無人島(嶮暮帰島)
今から41年前、昭和46年札幌の地下鉄が開通した年に、
北海道東部の太平洋にある無人島に動物王国を作り住んだ人がいた。
無人島の名は「嶮暮帰島(けんぼっきとう)」。
住所は北海道厚岸郡浜中町大字琵琶瀬村字嶮暮帰島6番地。
住人は、畑正憲(はたまさのり)昭和10年福岡生まれ。
動物記録映画製作に従事後、作家。
「ムツゴロウ」シリーズを出版。
このムツゴロウ王国は、翌年は大地に移り、その後根釧原野の大地に王国をつくる。
写真は、霧多布のアゼチの岬から写したもの。
手前に見えるのは小島で、その奥が嶮暮帰島で外周は約4.5キロある。
貴重な動植物の宝庫、世界最小の動物といわれるトウキョウトガリネズミや
コシジロウウミツバメの生息地。
自然のままの姿を残しており、現在浜中町において自然保全と利用の側面
から島の立ち入り条件を定めている。
2012/06/21 06:19:55
上砂川駅(悲別駅)6
上砂川町の北にある歌志内市で、町を横切る道道114号を
走ると右手に旧「住友上歌会館」が見えてくる。
昭和28年にオープンした住友炭坑職員の福利厚生として建て
られたもので、東宝歌劇団や東海林太郎や当時のスターが舞台に立った。
昭和46年に閉山となり解体費用がないという理由で放置され
ボロボロの廃屋の状態が続いた。この廃屋で最初に映画のロケが行われた
のは、昭和52年「幸せの黄色いハンカチ」だった。
そうして、昭和59年~61年のテレビドラマ「昨日悲別で」で映画館「悲別ロマン座」
として登場した。
昭和61年に全面改修に向けて募金活動が始まり、180万円か集まり、市から2500万円
の補助を出してもらい改装された。
しかし、その後は何もなくまた廃屋が続いた。
今、この廃屋を建て直そうと一人の男が軽食屋をここで開いている。
立ち寄ってみると面白い。
(写真は、映画館「悲別ロマン座」の中)