アイヌ民族の蜂起 31 シャクシャインの戦い(5)
2013/03/07 09:20:46
シャクシャインの戦い(5)
寛文9年(1669年)6月25日、松前藩は重臣を江戸の北条正房のもとに派遣した。
また、弘前藩にも通報した。
松前藩の使者が江戸に着いたのは7月11日。
弘前藩に着いたのが6月30日であった。
江戸藩邸では、この報を幕府に知らせるべきか迷い13日になってようやく報告した。
弘前藩は、松前藩が幕府へ報告したのを確かめてから幕府へ報告をした。
こうして、幕府は松前氏の一族で旗本の松前八左衛門泰広に出陣を命じ、弘前藩に
も出兵を命じるとともに盛岡藩・秋田藩にも松前藩から要請があり次第出兵するように命じた。
幕府がアイヌ民族の蜂起に直接指揮をとったのはこれが最初であった。
当時の松前藩の和人人口は約1万5千人、うち家臣団は80余名。
これに対してアイヌの人口は2万余人とみられていた。
(写真は、アイヌの皿敷)
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