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訓子府町開拓

北光社移民団・高知県
 
  明治30年5月、訓子府町と北見市に高知県からの開拓者が入植。
 
 この開拓者が「北光社移民団」です。
北光社社長は、坂本龍馬の甥になる坂本直寛で、移民団は、約110戸と言われております。
 
     
 坂本直寛
         
 直寛は1896年(明治29年)北海道・北見開拓の視察をする途中、
浦臼(うらうす)の聖園農場に立ち寄り北見地方開拓の協力を求めました。
 
この事により浦臼町との関係が始まります。  
       
  ここには同じ高知出身でキリスト教を信仰する武市安哉(あんさい)
(自由民権運動者・代議士)が、信仰と教育による理想農園を作ろうと入植し
 
  たものの2年前の12月2日に青函連絡船にて脳溢血のため急死していました。  
  直寛はこの農場を支援しようと明治30年5月に一旦北見に入植しましたが  
 仲間に後を任せ明治31年に妻と4人の子どもを連れて浦臼の聖園農場に  
 入植しました。聖園教会での伝道と青年の指導に励み、当時の大洪水の時  
 などには、知人の板垣退助らに陳情し資金を出させ災害救済に貢献してい  
 ます。
 
 土佐(高知県)を郷里とする坂本龍馬ですが、今、同県内に「坂本」姓を名乗る  
 龍馬の子孫はいないそうです。それは、龍馬家の一族が北海道の浦臼町に  
 移住したためです。
 龍馬が生前夢見た北の新天地開拓は龍馬の姉千鶴(ちづ)の次男(龍馬の甥)で
 
 坂本家本家第5代当主坂本直寛(なおひろ)によって実現します。  
           
 
 
   
   
             
 
 
 
   
         
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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