2011/11/15 00:06:04
<豊頃開拓の祖 二宮尊親> |
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興復社二宮農場の創設者二宮尊親は、二宮尊徳の孫として、安政2年 | ||||||
11月16日、現在の栃木県今市市に誕生。明治29年興復社再建の | ||||||
ために北海道開拓を決意し、社員等4名とともに渡道。 | ||||||
明治30年牛首別興復社の設立認可を受け、3月3日第一期移住民1 | ||||||
5戸を引率し、4月8日牛首別原野に到着。この年郷里から家族を呼 | ||||||
び寄せ、茂岩に居住することとなった。以来明治31年第二期入植者 | ||||||
23戸、明治32年第三期入植者14戸、明治33年51戸、明治3 | ||||||
4年14戸と続いて入植し、尊親自ら陣頭に立って寝食を忘れて指導 | ||||||
に当たった。明治40年入植以来10年にして開拓の方向も定まり、 | ||||||
各農家も経営の安定を見るに至ったので、福島県中村に転住。その後 | ||||||
は年に数回実情の把握および指導のため現地入りしたのである。 | ||||||
この間、十勝にあっては農会長、学事会員、その他の公職に推され、依田 | ||||||
勉三、関寛斎らが尊親を訪れたこともあった。郷里に帰った後も、尊徳遺稿 | ||||||
一万冊の整理、「二宮尊徳遺稿」の編集著作に専心する傍ら、農業関係、金 | ||||||
融関係、教育関係の公職及び実務に当たり、現西宮市報徳学園の二代目校長 | ||||||
などを務め、大正11年11月東京において68歳で病死した。 |
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