忍者ブログ
2025 02
≪ 2025 01 12 3 4 5 6 7 89 10 11 12 13 14 1516 17 18 19 20 21 2223 24 25 26 27 28 2025 03 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



 <豊頃開拓の祖 二宮尊親>
 
   
興復社二宮農場の創設者二宮尊親は、二宮尊徳の孫として、安政2年
11月16日、現在の栃木県今市市に誕生。明治29年興復社再建の
ために北海道開拓を決意し、社員等4名とともに渡道。
明治30年牛首別興復社の設立認可を受け、3月3日第一期移住民1
5戸を引率し、4月8日牛首別原野に到着。この年郷里から家族を呼
び寄せ、茂岩に居住することとなった。以来明治31年第二期入植者
23戸、明治32年第三期入植者14戸、明治33年51戸、明治3
4年14戸と続いて入植し、尊親自ら陣頭に立って寝食を忘れて指導
に当たった。明治40年入植以来10年にして開拓の方向も定まり、
各農家も経営の安定を見るに至ったので、福島県中村に転住。その後
は年に数回実情の把握および指導のため現地入りしたのである。
この間、十勝にあっては農会長、学事会員、その他の公職に推され、依田
勉三、関寛斎らが尊親を訪れたこともあった。郷里に帰った後も、尊徳遺稿
一万冊の整理、「二宮尊徳遺稿」の編集著作に専心する傍ら、農業関係、金
融関係、教育関係の公職及び実務に当たり、現西宮市報徳学園の二代目校長  
などを務め、大正11年11月東京において68歳で病死した。    
PR


この記事へコメントする








絵文字:
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字








2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
HN:
上家二三夫
性別:
男性