2011/09/10 00:43:57
札幌郡琴似(ことに)村開拓<本格的な屯田兵が入植>
現在の西区琴似地区に屯田兵が入植。琴似(ことに)村となる。
明治8年には仙台亘理(わたり)藩(宮城県)、斗南(となみ)藩(青森県の南部地方)、
庄内藩(山形県)の士族たちが琴似地区(現在の琴似本通沿い)に、
翌9年には発寒地区(現在の稲荷線沿い)にそれぞれ入植し屯田兵村を形成しました。
一方、旧手稲町地域の開拓は、明治4年西野地区に越後から5戸が入植したのが始まりと
されているが、本格的なものは明治5年仙台藩(宮城県)白石城主片倉小十郎の家臣たち
が宮の沢地区に47戸入植したのが最初です。
その後、明治20年までに西野、平和、福井などの地区に広島県人や福井県人などが相次いで入植。
人々は遠大な札幌建設計画に基づいて、鉄道を敷き、産業を興して、道都・札幌を築く。
北海道開拓使によって、京都あるいは、アメリカ合衆国のタウンシップ制をモデルとした碁盤目状の計画都市として本格的に開発された。
現在の西区琴似地区に屯田兵が入植。琴似(ことに)村となる。
明治8年には仙台亘理(わたり)藩(宮城県)、斗南(となみ)藩(青森県の南部地方)、
庄内藩(山形県)の士族たちが琴似地区(現在の琴似本通沿い)に、
翌9年には発寒地区(現在の稲荷線沿い)にそれぞれ入植し屯田兵村を形成しました。
一方、旧手稲町地域の開拓は、明治4年西野地区に越後から5戸が入植したのが始まりと
されているが、本格的なものは明治5年仙台藩(宮城県)白石城主片倉小十郎の家臣たち
が宮の沢地区に47戸入植したのが最初です。
その後、明治20年までに西野、平和、福井などの地区に広島県人や福井県人などが相次いで入植。
人々は遠大な札幌建設計画に基づいて、鉄道を敷き、産業を興して、道都・札幌を築く。
北海道開拓使によって、京都あるいは、アメリカ合衆国のタウンシップ制をモデルとした碁盤目状の計画都市として本格的に開発された。
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