2011/08/01 11:46:20
開拓使設置
明治2年7月2日
新政府は明治元年4月に箱館裁判所(後の箱館府)を置いたが、箱館戦争の終結後、
明治2年8月にこれを廃止し、新たに開拓使を設置した。
これが明治15年2月までの北海道開拓の中心となった。
開拓使では明治2年9月に、第一回募移民として東京府から約500人の浮浪者を樺太・
宗谷・根室に入植させた。彼らには渡航費のみならず家屋、3年間にわたる食糧・開墾料
の扶助が与えられたが、気候・土壌が悪かったことも重なって扶助期間が過ぎると離散し
てしまった。移民に対する扶助の方法からすると、幕末期の御手作場の募移民の延長と
も思われる。
当時の中央政府は北海道開拓のみに専念することはできなかったから、すでに明治2
年7月の太政官布告をもって諸藩士族・庶民の開拓志願者に土地を割り渡すことにして
いた。これに対して、1省1府25藩8士族2寺院が応じて開拓を志願し、支配を命ぜられた。
(北海道分領支配制度)
この大方は志願のみで開拓の成績は芳しくなかったが、明治3年春から開始された
伊達士族の移住・開拓など、その後の見本となるような事例も見出される。
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