北海道の石川啄木の歌碑
石川啄木は明治45年に亡くなりますが、明治40年21歳の時に北海道
にわたります。
明治40年5月函館に移り、9月札幌、更に9月末には小樽、明治41年
1月釧路、3月には釧路を離れる短い期間でしたが、代表的な歌を数多
く残しております。
この間の歌を明治43年、啄木24歳の時に東雲堂書店出版、処女歌集
『一握の砂』として世にだします。
北海道には41の歌碑が刻まれ、銅像とともに親しまれております。
函館市4・倶知安町2・小樽市3・札幌3・岩見沢市北村1・美唄市1
砂川市1・釧路市26。
ちなみに、最もたくさんの歌碑があるのは、岩手の69(盛岡52)です。
歌別の数では
「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
が最も多く11箇所。北海道にはありません。
北海道で最も有名な函館大森浜の啄木小公園の
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」
は全国で5箇所。一握の砂「我を愛する歌」から。
歌の碑文は、『一握の砂』(5章からなる)のものですが
「忘れがたき人々」の章が主なものです。
小樽市の水天宮にも昭和55年に建立されております。
「かなしきは小樽の町よ 歌うことなき人人の 声の荒さよ」
北海道空襲 2
実際の空襲地(現在の市町村名で表記)
・道南
函館市(青函連絡船・南茅部・戸井・椴法華)、北斗市(上磯)、長万部町
八雲町、森町(本町・砂原)、鹿部町、木古内町、知内町、福島町、松前町
・後志
小樽市、岩内町、積丹町、古平町、余市町、神恵内村、共和町、寿都町
・日高胆振
室蘭市、伊達市、登別市、苫小牧市、白老町、厚真町、安平町(追分)
むかわ町(鵡川)、日高町(門別)、新冠町、新ひだか町(静内)、浦河町
様似町、えりも町
・石狩空知
札幌市(手稲・白石・丘珠空港・東苗穂国鉄基地)、
石狩市(石狩本町・生振・花畔~花川・厚田・浜益)、
江別市(江別本町・大麻)、
千歳市、岩見沢市、由仁町
・上川留萌
旭川市、富良野市、留萌市、増毛町、美瑛町、比布町、鷹栖町
・オホーツク
網走市、清里町、小清水町、斜里町
・十勝
帯広市、音更町、大樹町、広尾町、本別町、更別村、士幌町
幕別町、池田町、浦幌町、豊頃町
・釧路根室
根室市、釧路市(釧路・音別・阿寒)、釧路町、白糠町、標茶町
厚岸町、中標津町、浜中町、別海町、標津町
道内で最大都市だった札幌は中心部への空襲は免れました。
また、千歳空港も大きな被害はありませんでした。これには米軍の戦後
処理で役立てるためという意図がありました。
このときに空襲を受けなかった地域は留萌管内北部、上川管内北部、
宗谷全域、オホーツク管内北西部、空知管内北部、檜山全域でした。
空襲を受けながらも死者がゼロだったところもあり、人的被害がなか
ったのは岩見沢、木古内、登別、白老、神恵内、共和、余市、千歳、
由仁、追分、鵡川、浜益、鷹栖、清里、斜里への空襲でした。
北海道空襲 1
北海道空襲は1945年7月14日・15日にかけて行われました。
攻撃を行ったのはアメリカ海軍第38任務部隊で、13隻の航空母艦を率いて北海道にやって
きました。部隊は道南・登別市幌別沖合に展開し、そこから延べで3000機以上の航空機を
発進させ、道内の主要都市を中心に爆撃を行いました
特に被害の大きかった都市は次の3市
室蘭艦砲射撃
室蘭市街地 被災世帯1,941世帯、被災人員8,227人、死者436人、
重軽傷者49人 軍人含まず。
釧路空襲
釧路市街地 焼失倒壊家屋1,618戸、罹災者6,211人、死者183人、
負傷者273人。
7月14日~15日にかけて艦載機141機による8波による大規模な空襲。
鉄道工場、造船所、製紙工場、橋梁が主な攻撃目標で被害は全市街地に渡る。
釧路港内外の船舶も攻撃を受け死者行方不明者28名・負傷8名
根室空襲
根室市街地 焼失倒壊家屋2,457戸、死者369人。
戦略上全く意味のない農村部も攻撃され、一般市民を中心に死者2,000人を
超える被害を出した。米軍は、基地のあった北千島への供給を断とうと、
根室付近の輸送船を次々攻撃。
函館も本州との青函連絡船を中心に攻撃にあいました。この航路の損失は、
関東の工場へ運ばれていた燃料である石炭供給ストップを意味し、敗戦が
決定的になったと言われています。
室蘭の日鋼室蘭は、最新鋭高射砲を生産できる国内唯一の工場であるため
重要攻撃対象になっていました。それで、空襲に加え、沖合の船舶の撃沈、
翌日に第34.8.2任務隊の合計13隻により室蘭艦砲射撃を加えました。
1000発以上の砲弾が工場・住宅に着弾したと言います
また、この空襲を通じて、千島列島から北海道、北海道から本州を結ぶ航路
の船舶も攻撃対象となり、多くの船が撃沈または大破の被害を受け、ほとん
どの航路が機能を失った。大動脈である青函航路も、全連絡船12隻が被害を
受け(8隻沈没、2隻大破炎上、2隻航行不能、352人死亡)、壊滅状態となる。
エゾシカの爆発的増加で、食用化の試みが増えてきております。
「道内」に生息するエゾシカは2009年度の推定で64万頭とされています。