松前町 2
松前町 1
『続日本紀』の養老四年(720年)の
「渡島津軽津(わたりしまつがるつ)」の記述があります。
渡島は蝦夷地を指し、津軽津は津軽地方への渡し口である
松前付近の地です。
(津軽津は、津軽地方であるという説と松前地方とする説とが
あって、現在では松前地方であるとする説が有力です。)
松前の様子が歴史上初めて現れるのは、14世紀の
『諏訪大明神画詞』のなかの「万堂宇満伊犬(まとうまいぬ)」という地名です。
同書によると東北の大海の中央に蝦夷島があり、
日の本(ひのもと)・唐子(からこ)・渡党(わたりとう)の三類が居住していたと言われています。
松前町内の地名は、アイヌ語を漢字で表したものが多く、
「松前」という語源もアイヌ語にあると考えられています。
「婦人の居るところ」つまり、アイヌの住む地に和人の女性も住むという珍しさを表したものだと思われます。
松前城資料館
松前さくらまつり
松前藩屋敷
松前藩屋敷
最北の城下町・松前。
「松前の五月は江戸にもない」とうたわれ、幕末には八千戸、
三万人の人口があり、仙台以北最大の都市といわれた。
北前船が走る海の道を、産物や文化が行き来し、北の辺地に
豊かで華やかな町が生まれたのです。
松前藩屋敷に再現された江戸時代の町並みは、全部で十四棟。
珍しい海の関所「沖の口奉行所」、藩士の屋敷を再現した「武家屋敷」、
商人の活躍が目に浮かぶ「廻船問屋」「商家」、にしん漁に挑むヤン衆
の声が聞こえてきそうな「番屋」「漁家」など、見所はいろいろ。
郷土の料理が味わえる「たべもの屋松前亭」のほか、木工品づくりや桜押し花づくり、甲冑の着付けなどの体験メニュー、以下煎餅の実演販売など楽しさいっぱいのテーマパークです。
松前町
コシャマインの蜂起
『新羅之記録』によれば、康正二年(1456年)から
翌年にかけて、道南地方に居住する和人と、先住のアイヌ
との間に大きな戦争が起きました。
この戦いの発端は、箱館(函館)近くで、和人の鍛冶屋が
アイヌの人を刺殺したことがきっかけとなっています。
しかし、その背景を考えるとアイヌの人たちが居住する
平和な島に、侵入定着した和人が増加し、経済的優位
を誇って館を構え、武力を持ち横暴を強めることに対して、
アイヌの反発が蜂起の原因であると推測されます。
この当時道南地方には12の館(たて)がありましたが、
東部の大族長コシャマインを中心とするアイヌの人たちが
団結し、これらの館を攻撃しました。
各館は次々と落とされ、茂別館(上磯町茂辺地)と
花沢館(上ノ国町勝山)のみが残り、
和人たちは次々とこの二つの館に逃れました。
このとき、花沢館にいた武田信広(松前家の祖)がわずかな兵を率いて進撃し、
上磯町七重浜付近でコシャマイン父子を倒しました。これによりアイヌは敗れ、
松前氏の蝦夷地での発展の基礎が築かれました。
写真の家紋は「蠣崎家・松前家家紋」 丸に武田菱