知床で夢を買いませんか!
「しれとこ100平方メートル運動」2
昭和62年5月には、参加者の名前を永遠に保存し、運動を紹介するために、
「知床100平方メートル運動ハウス」を現地に設置しました。
平成9年3月、運動参加者はのべ4万9,024人、金額では、5億2,000万円となり、
「しれとこ100平方メートル運動」の目標金額が達成されました。
また、これを機に、保全した土地の譲渡不能の原則を定めた条例を制定し、未来
永劫この森を守り続けることを明確にしました。
そして「知床100平方メートル運動」は、現在行われている新たな活動
「100平方メートル運動の森・トラスト」へと発展を遂げました。
知床で夢を買いませんか!
「しれとこ100平方メートル運動」1
開拓跡地は国立公園内とはいえ、一度不動産業者等に渡ってしまえば乱開発が予想されます。
そこで、開拓跡地の保全、原生林の再生を夢みていた当時の斜里町長藤谷豊氏が、イギリスのナショナル・トラスト運動に注目し、昭和52年2月に「しれとこ100平方メートル運動」のスタートを発表しました。
土地の買い取りや植樹費用等にあたる金額8000円を一口として、「しれとこで夢を買いませんか」のキャッチフレーズで寄付を募りました。この運動は、自然保護に関心を持つ全国の人々から賛同を得られ、また運動を支援する報道にも後押しされて、各地から寄附金が寄せられました。
2,019人(人口、2005年9月末)
丸瀬布町(まるせっぷちょう)は、網走支庁管内の中部に位置していた町。
2005年10月1日、丸瀬布町は生田原町・遠軽町・白滝村と合併した。
新設合併で新町名は遠軽町。
町名の由来は、アイヌ語の「マウレセプ」(3つの川の集まる広い所)から。
町面積のほとんどは森林。
町北部を東西に国道333号、石北本線が走る。
現在、これらに並行するように、旭川紋別自動車道(国道450号)が建設工事中である。
やさしい木の香りに包まれて、ウッドクラフトとピアノ演奏が楽しめる駅。
国道333号沿いにある三角屋根の道の駅「まるせっぷ」は、オリジナリティあふれるウッドクラフトと、グランドピアノの自動演奏が響く駅。グランドピアノや販売されているウッドクラフトには地元の木材が使用されています。
昭和50年、現在のチューリップ公園
(かつて屯田兵の集会場と訓練場なっていた)の場所に「老人農園」として、当初2アールの小規模な面積に植付けを行い、その後、30アールまで拡大されるまでになりました。
ただ単に自分たちが楽しむため、チューリップを残したいために農園で栽培されてきたチューリップでしたが、国道沿いに広がるチューリップ畑は、車で通過する町外の人たちから注目され、毎年春には、自然に人々が集まるようになっていました。
昭和62年には町の観光開発事業として展望台を兼ねた「オランダ風車型管理棟」を建設し100台収容の駐車場と約3ヘクタールの畑を整備、「1987チューリップフェア」が初開催。昭和63年4月1日に正式に町立の「チューリップ公園」として指定しました。
その後、レストラン「チューリップ館」や物販店舗、球根乾燥貯蔵施設、公園内道路の整備など、年々公園の拡張と整備に努めております。
現在、公園の総面積は12.5ヘクタール、このうち約7ヘクタールの畑に120品種120万本のチューリップを植栽し、毎年新品種を導入しながら植付け配置を調整しており、特に平成10年度からはチューリップの本場オランダから珍しい球根を直輸入しております。
オホーツクに遅い春が訪れる5月上旬から6月上旬まで、公園ではチューリップフェアが開催され、掘り取り販売や球根の予約販売など多彩な催しも行われ、毎年、10万人以上の観光客で賑わいます。
上湧別町(かみゆうべつちょう)は、網走管内中部の紋別郡に存在した町。
2009年10月5日に湧別町と新設合併し、新たに湧別町として発足した。
屯田兵の入植した地であり、現在も兵村という地名が町内に残る。
屯田兵により拓かれた街である湧別町上湧別地区の背景として、国防と開墾を担う屯田兵には面積4.4ヘクタールの土地が無償提供されており農地として継承されていたのですが、この決して広くない面積から北海道で農業経営するのは厳しい状況でした。
この状況を踏まえ、昭和32年、当時の農業改良普及所長・西川照憲氏が研究を重ねた末、「少ない面積の農家の収入を増やすには高収益であるアスパラガスとチューリップが有望」と呼びかけ指導しました。
同年春に町内の54戸の農家がチューリップ耕作組合を結成、オランダからチューリップの球根22種類6万500球を輸入し、「チューリップで夢を見よう!」を合い言葉に外貨獲得の大きな期待を担って栽培が開始されました。
その後、組合員の熱心な栽培努力によって昭和35年にはバンクーバー・シアトル・ サンフランシスコに初輸出され、昭和35年には生産量(33万球)・輸出量共に全道一となり、昭和40年には22万球を輸出するようになりました。
しかし、ようやく軌道に乗りチューリップの栽培も順調に伸びていくものと思われた矢先、昭和41年にオランダの球根が世界市場で値下げされたため日本からの輸出が困難を極めるものとなりました。
チューリップ栽培の夢が志半ばで消えかかったのですが、それでも生産農家たちはチューリップへの深い愛着から畑の片隅や自宅の庭に植え続けました。そして、「かつて町の農業に活気をもたらしたチューリップを後生に残そう」と昭和51年「町の花」に指定されることになりました。
浜佐呂間からキムアネップ岬に向かうサロマ湖畔の道は、「みどりのトンネル」となっています。このみどりのトンネルは2キロにもおよびます。
トンネルを過ぎると、サロマ湖の東南部、湖に突き出たキムアネップ岬に到着。
原生植物の群落地があり、青紫のヒオウギアヤメ、淡紅色のハマナス、深黄のセンダイハギなど約50種の花が6月~8月にかけ咲き競います。
9月を過ぎると真っ赤なサンゴ草が岬一帯を赤く燃やす。
アッケシソウ(アカザ科)
●時 期 8月~10月
●花の色 紅
●特 徴 節から枝分かれしてサンゴのような形になり、秋には紅葉して赤くなることから珊瑚草とも呼ばれています。釧路の厚岸で発見されたのでアッケシソウの名がつきました。