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   229

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229 8 ()

  
 国道229号 8
 倉本聰Ⅱ  

 倉本聰は1977年(昭和52年)に富良野に移住するのだが、
美国(びくに)を断念したのは岬が岩盤で全く水が出なく、
下からポンプアップするには冬の凍結を考えると無理だった。

泣く泣く美国をあきらめたのだが、それだけ魅力的なところである。                                                     瀬戸内海の鞆の浦や尾道とは違う、北の日本海の独特な雰囲気
が今も残っている街だ。
倉本聰は「美国」に住んでいたら、「北の国から」ではなく「北の海から」
のドラマになったのではと語っている。  


 このブログの検索で「美国」と引いてもらえば、以前紹介した「美国」がでてくる。


 (写真は小樽にある青山別邸庭にある、なかにし礼作詞「石狩挽歌」の歌碑)
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229 7 ()

     
 国道229号 7 
 倉本聰  
  
 倉本聰は
「前略おふくろ様パートⅡ」(1976年)を書きながら、北海道に定住
することを真剣に考えていたと書いているが、その第一の候補地
が積丹の美国だった。 

  定住の条件として                                                       1.冬と夏の寒暖の差が激しい所。即ち四季が明確に見える場所。                                                       2.太い樹のある自然林の中。                                                       3.水の見える場所。 
 不便であってもかまわない。 そうした場所で自分を孤立させ、
 可能な限り他人に頼らず、 出来得る限り己の力で毎日の暮らし
 を切り開ける場所。  


浦河、根室、釧路、中標津、羅臼、斜里、北見枝幸などの海岸線。
十勝三俣、遠軽、屈斜路湖、ニセコなどの内陸部。
暇にまかせて車を走らせあちこちを見て歩く旅の日が続いた。
そして積丹の「美国」へ到達した。  
 
美国とは、余市から古平を抜けて走る東積丹シリパラインの中間地点にある。


229 6 ()

                                                国道229号 6
 ソーラン節発祥之地 
                                                        


  国道229号線の旧豊浜トンネル入口(余市町豊浜)には、
ソーラン節発祥之地の碑が立っている。
ソーラン節の始まりは1800年代とされ、元祖は積丹の美国
ともあるが、「千石場所」としてにぎわうようになったのが豊浜
だったので碑を立てたようだ。

                                                             
   ヤーレンソーラン(*繰り返し)[ハイハイ] /
   ニシン来たかとカモメに問えば /
   わたしゃ立つ鳥 波に聞けチョイヤサ /
   エーエンヤーサノドッコイ ショ /
     [ハードッコイショドッコイショ]  
                                                                                                                       
                                                                                                               更に                                                                  

   沖の鴎が 物言うならば 便り聞いたり 聞かせたり /
   鰊くるかと 稲荷にきけば どこの稲荷もコンと鳴く /
   今宵一夜は 緞子の枕 あすは出船の 波まくら /
   余市よいとこ 一度はござれ 海に黄金の波が立つ  
                                                                                                                                                                                 この229号線は、江差に至るまで江戸時代からニシン漁で栄えて
いたため、それを偲ぶ遺産が点在している。



229 5 

  
  国道229号 5 
豊浜トンネル岩盤崩落事故
 

 崩落現場は入り江状にやや奥まっているため、現在は両側の
海岸線からは現場方面を望むことはできない。
また、海岸線は切り立った崖のため、現場への到達は徒歩では困難で、
船でしか行けない。

なお、現行豊浜トンネルの古平側抗口(旧セタカムイトンネルの古平側抗口
)脇には防災祈念公園として駐車場とトイレを新設。                                                     その敷地内に慰霊碑が設置され、誰でも常時訪れることができるほか、
トイレ隣には事故概要とトンネル防災に関する展示コーナーも併設されている。

229 4 

                                                 国道229号 4  豊浜トンネル崩落  
 
 平成8年2月10日午前8時10分頃、余市町と古平町
を結ぶ国道229号線の豊浜トンネル(延長1086m)で、
最大長さ70m、最大幅50m、最大深さ13m、
体積約11000立方メートルの岩盤が崩落した。 
                                                      

 この事故で、札幌雪祭りや小樽市へ向かう乗客を乗せた
路線バス1台、乗用車2台がトンネル内で押し潰された。
11日より14日にかけて、4回にわたる発破作業の末ようやく
岩盤を除去することができた。
岩盤除去後に瓦礫は取り除かれたが、乗用車は原形をとど
めておらず、また、バスは3mあった高さが1mにまで押し潰さ
れた有様であり、被災者は全員が激しく圧壊損傷した遺体で
発見される結果となった。
20人全員の死亡が確認されるという惨事となった。 
                                                    

 現場を視察に来た当時の知事は
「これは事故ですネ」と問いかけた言葉が今も耳に残っている。


229 3 

                                                  国道229号 3  豊浜トンネル崩落

 断崖絶壁が連続する国道229号が全線開通したのは、断崖絶壁を
迂回する長大トンネルが出来たからである。
これは昭和56年に開通した国道231号の最大の難工事雄冬岬トンネル(878m)
の技術が活かされたからだという。高技術のトンネルが完成するまでは、海岸
沿いを幾重にも曲がる小さなトンネルが続いていた。


 大変危険ではあったが、景観は見事なものであった。
平成8年11月1日に全線完成するのだが、この年(1996年)の2月10日に大変な
事故が起きた。
余市町と古平町の境にある豊浜トンネルが崩落したのである。


                                                      (写真は正面の中心に小さく見えるのが旧豊浜トンネル)

229 2 

  
 国道229号 2   蝦夷の三険峰
                                           
 小樽~江差までの国道229号は、蝦夷の三険峰
(雄冬岬・茂津多岬・神威岬)のうち2つがこの国道にある。



地形が厳しく人が近づき難く山を背に負い、海岸線は断崖絶壁が
連なる北海道でも屈指の景勝地。                                                          

 229号線が開通し、北海道地図の海岸沿いが一本の道路で結ば
れたことになる。
 北海道の旅で、地図を片手に沿岸一周2500キロに挑戦する人が増えてきた。                                                     フェリーで小樽か苫小牧で下船し、北海道を一筆書きで沿岸を回るのである。
 

(写真は神威岬)                                               



229 1 

                                                 国道229号 1  小樽駅出発                                                  

 国道229号は、1953年(昭和28年)に小樽江差線(小樽市~檜山郡江差町)
として国道の指定を受けた。
この道が全線開通するのは43年後の1996年(平成8年)11月1日。 

 北海道でも最も難工事が続いた危険な国道である。
しかし、危険とは裏腹に絶景が続く300kmのドライブコースでもある。                                                   小樽から余市までは国道5号と重複し、右手に日本海を見ながら沿岸を西に
進み積丹半島の付け根「神威岬(カムイ)」に達する。
この岬より積丹半島を巻くように沿岸を回り原発のある泊村に達し、更に南下
し延々と右手に日本海を見ながら江差に向かって行く。
                                                    (写真は、今年リューアルオープンした小樽駅)

2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
性別:
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