2011/07/03 00:49:25
北海道人のルーツ
1868年(慶応4年・明治元年)その2
<開陽丸>
開陽丸(かいようまる)は、幕末期に江戸幕府が所有していたオランダ
製軍艦である。名称は榎本武揚が提案した「夜明け前」を想起する開陽
に決定された。
オランダで造艦され、1867年(慶応3年)3月25日に横浜へ帰港した。
最新鋭の主力艦として外国勢力に対する抑止力となることが期待された
が、徳川軍艦としてわずか1年数ヶ月、1868年(明治元年)11月15日、
蝦夷・江差沖において暴風雨に遭い、座礁・沈没した。
開陽丸を見ることができます。
江差町では、昭和50年から引き揚げ作業を行い発掘された遺物は32,905点。
平成2年4月に実物大で再現。
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2011/07/02 00:23:01
北海道人のルーツ
北海道の歴史(年表)
1868年(慶応4年・明治元年)
時代背景
1月11日 |
徳川慶喜、鳥羽・伏見の戦いに敗れ、開陽丸で大阪を脱出、品川帰還。 |
4月11日 |
江戸城無血開城。 |
7月17日 |
江戸を東京と改称。 |
8月19日 |
榎本武揚らの幕府の残党、軍艦八隻を率いて密かに品川湾を脱出、函館へ向う。 |
8月23日 |
白虎隊全滅 |
9月8日 |
明治と改元、一世一元の制定める。 |
9月22日 |
会津若松城落城、官軍に降伏。 |
10月20日 |
榎本武揚らは軍艦「開陽丸」以下7隻の艦隊を率い、鷲の木の浜(現森町)に入る。 |
|
旧幕府軍は総勢約3,000名、フランス軍人が10名、6日後には五稜郭を無血占拠。 |
11月11日 |
榎本武揚、開陽丸で函館に入港、五稜郭に入る |
11月15日 |
開陽丸は江差占拠の陸兵援護のため、江差沖に到着、砲撃。 |
|
同日夜半、暴風雪のため座礁、約10日後に沈没。 |
※ |
幌内で良質な石炭が発見される |