第七師団
第七師団(旭川)の組織とは次のようになっていました。
歩兵第25聯隊(札幌)、歩兵第26聯隊(旭川)、歩兵第27聯隊(旭川)、
歩兵第28聯隊(旭川)、騎兵第7聯隊(旭川)、野砲兵第7聯隊(旭川) 、
工兵第7大隊(旭川)、輺重兵第7大隊(旭川)、重砲兵大隊(函館)。
1944年(昭和19年)2月には留守第7師団を基幹に第77師団が新設され、
師団司令部を帯広に移駐して道東方面の防衛に専念することになった。
これに伴い、歩兵第26聯隊を帯広、歩兵第27聯隊を釧路、歩兵第28聯隊を北見に配置し、
計根別平野(現中標津町)を決戦地として定め、
海岸陣地やトーチカの構築に専念するものの、
予期された連合軍の襲来が無いまま、第二次世界大戦の終戦を迎えた。
師団が設営したトーチカが今もなお根室、釧路、十勝の海岸線に残されています。
三浦綾子(みうら あやこ)
1922年4月25日- 1999年10月12日
小説家、エッセイスト
旭川市出身。旧姓堀田。
結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。
故郷である北海道旭川市に三浦綾子記念文学館がある。
経歴
1939年、旭川市立高等女学校(現・旭川市立北都中学校・立地)卒業。
その後7年間小学校教員を勤めたが、終戦によりそれまでの国家のあり方や、自らも関わった軍国主義教育に疑問を抱き、1946年に退職。この頃肺結核を発病する。
1948年、北大医学部を結核で休学中の幼なじみ、前川正に再会し、文通を開始。前川は敬虔なクリスチャンであり、三浦に多大な影響を与えた。
1952年に結核の闘病中に小野村林蔵より洗礼を受ける。1954年前川死去。
1959年に旭川営林局勤務の三浦光世と結婚。光世は後に、綾子の創作の口述筆記に専念する。
結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみながら、クリスチャン(プロテスタント)としての信仰に根ざした著作を次々と発表。クリスチャン作家、音楽家の多くが彼女の影響を受けている。
1961年、『主婦の友』募集の第一回「婦人の書いた実話」に「林田律子」名義で『太陽は再び没せず』を投稿し入選。翌年、『主婦の友』新年号に「愛の記録」入選作として掲載される。
1963年、朝日新聞社による大阪本社創刊85年・東京本社75周年記念の一千万円(当時の一千万円は莫大な金額であった)懸賞小説公募に、小説『氷点』を投稿。これに入選し、1964年12月より朝日新聞朝刊に『氷点』の連載を開始する。
この『氷点』は、1966年に朝日新聞社より出版され、71万部の売り上げを記録。大ベストセラーとなり、1966年には映画化された(監督:山本薩夫、出演:若尾文子)。 また数度にわたりラジオドラマ・テレビドラマ化されている。 ちなみに、日本テレビ系番組「笑点」は、このころベストセラーであった「氷点」から題名を取ったと言われる。
長編小説
- 積木の箱 朝日新聞社、1968 のち文庫、新潮文庫
- 塩狩峠 新潮社、1968 のち文庫
- 英語版は"Shiokari Pass"として翻訳/出版されている。
- 英語版は"Shiokari Pass"として翻訳/出版されている。
- 道ありき
- 道ありき わが青春の記 主婦の友社、1969 のち新潮文庫
- この土の器をも わが結婚の記 主婦の友社 1970 のち新潮文庫
- 光あるうちに 信仰入門編 主婦の友社 1971 のち新潮文庫
- 道ありき わが青春の記 主婦の友社、1969 のち新潮文庫
- 泥流地帯 新潮社 1977 のち文庫
- 銃口 小学館、1994 のち文庫
- 命ある限り 角川書店 1996 のち文庫
- 雨はあした晴れるだろう 北海道新聞社 1998 のち角川文庫
及び木のすぐれた造形作品を系統的に収集・保存する
とともに国内外の各種展覧会を企画・実施するなど、
道北地域の美術文化の振興のための活動を広く進めている。
団体(10人以上の団体、1人につき)一般80円、大学生40円。
特別展/1人につき 1,350円以内
東神楽町
9,433人(人口、2009年3月31日)
町名はアイヌ語で「神々の遊ぶところ」の意訳の東側にあったことからに由来する。
東神楽町(ひがしかぐらちょう)は、上川支庁管内、上川郡にある町で、
旭川空港の所在地。
旭川市のベッドタウンとして大きく発展。道内屈指の人口増加率を誇る。
昔から、町民が花を町内に植える運動をしてきたため、「花の町」として
も知られている。
旭川空港が東神楽に建設されるきっかけとなったのは、昭和36年1月。
立地条件・気象条件などが好ましいことから、柏木ヶ丘付近を旭川空港建設の予定地としたいという申し入れが旭川市から東神楽村にありました。村ではさっそく村議会にかけ満場一致で誘致促進を決定。
昭和37年に着工した旭川空港建設工事は村と旭川市の関係者の尽力で昭和39年春から本格的な工事が開始されていきました。
奇しくもこの年の春には道北の空の玄関として待望久しい旭川空港が誕生することとなりました。
旭川市旭山動物園
日本最北の動物園。動物の自然な生態が見られる
行動展示を実施して、一躍有名になった。
北海道では1951年に札幌市円山動物園が開園。
1960年前後から全国の地方都市で盛んに動物園が建設されるようになり、
1963年にはおびひろ動物園が開園。
旭川市でも当時の五十嵐広三市長(後の建設大臣・内閣官房長官)が、
1964年度以降開園へ向け予算をつけ、市の東部にある旭山が選ばれた。
1966年4月着工して各地に預託されていた動物を運び入れ開園したのは
1967年7月1日である。
当初の動物は75種505点だった。なお、これにはコイ200匹も含まれている。
当初40万人ほどだった年間入園者数は、旭川市の人口増とともに右肩上がりに増加したが、
1983年の約59万7千人をピークに減少に転じた。
これを打開すべく、1997年より行動展示を実現する施設づくりに着手した。
同年には巨大な鳥籠の中を鳥が飛び回る「ととりの村」が完成。
翌年以降「もうじゅう館」「さる山」「ぺんぎん館」「オランウータン舎」「ほっきょくぐま館」
「くもざる・かぴばら館」と毎年のように新施設をオープンさせ、そのたびに入園者を増やしている。
1997年以降は入園者数が増加し、2006年度の入園者数は300万人を超え、
350万人の来園者があった上野動物園に次いで国内2位、世界レベルでも上位の入場者数を誇る。
旭川市科学館 サイパル
住所: 旭川市宮前通東(北彩都あさひかわシビックコア地区)電話: 0166-31-3186
平成17年7月23日に旭川市青少年科学館から名称を変更し,
常磐公園から宮前通東「北彩都あさひかわシビックコア地区」
に移転・新築されました。
館内には科学について楽しく体験して学べる「北国」「地球」「宇宙」を
テーマにした展示スペース。
実験や研究に利用できる各種実験室・学習室。
天体や天文に関する知識を学べるプラネタリウムや天文台を収容。
そして敷地内には,鳥や昆虫などが観察できる自然観察空間を設け,
近隣の神楽岡公園や忠別川河畔林などの豊かな自然に囲まれ,伸び伸びとした空間で自然科学をはじめとするさまざまな科学を学ぶことができます。
天文台には,大小2つのドームがあり,それぞれ大型の天体望遠鏡が設置されています。
望遠鏡の口径が大きいため,市街地でも多くの星がはっきりと見え,昼間でもある程度の明るさの星が観察することができます。
最新式のプラネタリウム投影機を導入し,直径18メートルのドームに季節ごとの満天の星空を再現します。また,星空投影だけではなく,ドームを利用した全天周ドーム映像やスライド映像,星を見ながらの天文コンサート,星にまつわる占いなど,天体や天文現象をより身近に親しんでもらえるように,さまざまな取り組みを行っています。