トーチカ
広尾から浦幌の海岸沿いに、
巨大なコンクリートの固まりが墓石のように立ち並んでいる。
旧日本軍が造った防衛陣地のトーチカだ。
波や風雨の浸食を受けながらも、戦争の記憶をとどめる遺物として今も残る。
終戦間際、アメリカ軍は道東の沿岸で上陸作戦を検討。
道東防衛を担当した陸軍の第七師団(当時は帯広)は、大樹町では1944年の
夏から秋にかけて突貫工事で多数のトーチカを築いた。
トーチカは艦砲射撃などの爆風を避けながら軽機関銃などで応戦する陣地だ。
実際の上陸時は海岸ラインは半日も持たない。トーチカは時間稼ぎの場。
トーチカのある海岸線は探り合いの『接点』となる場所でもある。
十勝の海岸は米軍の上陸もなく敗戦を迎えた。
「海岸を破られたら、十勝でも沖縄のように地上戦で住民に多大な被害が出たはず。
二度と戦争は起こさないように親が子に語る材料として、トーチカは残す価値がある」
大丸山森林公園は広尾サンタランドのシンボルゾーンです。
園内にある「サンタの家」にはノルウェーの人形やクリスマスカード
などが展示され、売店ではお土産や来園の記念にぴったりの
クリスマス関連のグッズや、絵本作家の永田萠さんのグッズなどの
販売も行っています。
そのほか、外からサンタさんの部屋の中を見ることができる「サンタの部屋」や、
サンタキャンドルの製作体験ができる「サンタ工房」などの施設があります。
また、クリスマスのシーズンが近づくと、園内にはイルミネーションが灯り、クリスマスムード一色となります。
春から秋まで森林公園に咲くいろいろな花が目を楽しませてくれます。
森林公園から雪が消える4月下旬には、クリスマスローズの可憐な花が咲き始め、
5月上旬にはエゾヤマザクラ、5月下旬には約1万2,000本のエゾヤマツツジが鮮やかに園内を染めます。
また、園内の花壇では晩秋まで季節ごとに様々な宿根草の花が楽しめます。
昭和63年6月27日
条例第11号
(目的)
第1条 この条例は、中川一郎記念館(以下「記念館」という。)の設置及び管理について、必要な事項を定めることを目的とする。
(設置)
第2条 本町出身の元国会議員故中川一郎氏の功績をたたえその業績を後世に伝えるために、次の施設を設置する。
名称 中川一郎記念館
位置 広尾町字紋別19線51番地12
(管理)
第3条 記念館は、常に良好な状態において管理し、その設置目的に応じて最も効率的に運用しなければならない。
2 町長は、記念館の設置目的を達成するため、管理を委託することができる。
(職員)
第4条 記念館に館長及び必要な職員を置くことができる。
(使用の許可)
第5条 記念館を会議、集会等に使用しようとする者(以下「使用者」という。)は、あらかじめ町長の許可を受けなければならない。
2 町長は、前項の許可をする場合において、記念館の運営上必要があると認めたときは、その使用について条件を付すことができる。
(使用の不許可)
第6条 町長は、記念館の使用目的が次の各号の一に該当すると認めたときは、その使用を許可しない。
(1) 建物及びその備付物件をき損又は滅失するおそれのあるもの
(2) その他記念館の運営上適当と認め難いもの
(使用許可の取消等)
第7条 次の各号の一に該当するときは、町長は、その使用許可の条件を変更し、又は使用を停止し、若しくは使用の許可を取り消すことができる。この場合、記念館を使用する者に損害を及ぼすことがあっても、町は、賠償の責めを負わない。
(1) 使用者が使用許可の条件に違反したとき。
(2) この条例又はこれに基づく規則に違反したとき。
(3) 記念館の運営上やむを得ない理由が生じたとき。
(現状回復)
第8条 使用者は、その使用を終了したとき、又は使用を停止されたとき、若しくは使用の許可を取り消されたときは、直ちにその使用場所を現状に回復して返還しなければならない。
2 使用者が前項の義務を履行しないときは、町においてこれを代行し、その費用を使用者から徴収する。
(損害賠償)
第9条 記念館の施設設備又は資料をき損し、又は滅失したときは、その損害を賠償しなければならない。
(規則への委任)
第10条 この条例に定めるもののほか、記念館の管理及び使用に関し必要な事項は、規則で定める。
附 則
この条例は、昭和63年7月10日から施行する。
○中川一郎記念館管理運営基金条例
昭和63年6月27日
条例第12号
(設置)
第1条 中川一郎記念館の管理運営に要する資金に充てるため、中川一郎記念館管理運営基金(以下「基金」という。)を設置する。
(積立)
第2条 基金は、指定寄付金を積み立てるものとする。
(管理)
第3条 基金に属する現金は、金融機関への預金その他最も確実かつ有利な方法により保管しなければならない。
2 基金に属する現金は、その目的に反しない限度において、必要に応じ、最も確実かつ有利な有価証券に代えることができる。
(運用益金の処理)
第4条 基金から生ずる収益は、一般会計歳入歳出予算に計上して、この基金に編入するものとする。
(積立金の処分)
第5条 基金は、第1条に定める資金に充てる場合に限り、その全部又は一部を一般会計歳入歳出予算に計上して処分することができる。
(繰替運用等)
第6条 町長は、財政上必要があると認めるときは、確実な繰戻しの方法、期間及び利率を定めて、基金に属する現金を歳計現金に繰り替えて運用し、又は一般会計の歳入歳出予算の定めるところにより歳入に繰り入れて運用することができる。
(委任規定)
第7条 この条例に定めるもののほか、基金の管理に関し必要な事項は、町長が別に定める。
附 則
この条例は、公布の日から施行する。
附 則(平成14年条例第9号)
この条例は、平成14年10月1日から施行する。
「北海のヒグマ」との愛称で親しまれた異色の政治家・中川一郎の記念館。
自由民主党総裁選に立候補して破れた後3か月もたたない1983年1月に、突如57歳で早世。
1925年(大正14年)に北海道に生まれた中川一郎は、十勝農業学校、宇都宮高等農林、九州帝国大学農学部(農業土木)で学び、父の悲願どおり北海道庁で役人生活を始めるが、酒の飲みっぷりがいいという理由で、北海道開発庁長官になった党人政治家・大野伴睦(1890-1964年)の秘書になり、大野を生涯の師とする。
その後、緒方竹虎長官の秘書もつとめ、政治への志を持つ。
12年間の役人生活を経て第30回総選挙に立候補し当選する。
中尾栄一、浜田幸一、石原慎太郎、渡辺美智雄らとともに31人で1973年に青嵐会を結成し、事実上のリーダーである代表世話人をつとめる。
その後、1979年に自由革新同友会を22人の同志とともに結成、これが事実上の中川派の旗揚げとなる。
福田赳夫総理のもとで農林水産大臣として日ソ漁業交渉をまとめ、そして科学技術庁長官(鈴木内閣)で原子力発電に力を入れている。
13人という小派閥を率いる中川一郎は、1982年10月16日自民党総裁選に立候補する。
このとき立候補したのは、中曽根康弘、河本敏夫、安部晋太郎と中川一郎の4人である。
河本、安部、中川の反主流三派連合の成立で予備選実施を避けられないと判断した鈴木首相は、退陣を表明し中曽根行革長官を後継者に指名し、田中、鈴木、中曽根の主流三派は中曽根康弘を候補に一本化する。結果は派閥の締め付けがあり予備選で安部にも及ばず4位となる。
同志であった石原慎太郎は、中川の「魅力は結局可愛らしさだったと思う」と評している。
中川一郎の座右の銘は、「真実一路」である。親孝行でも有名だった。またよく歌う唄は「星影のワルツ」で「仕方がないんだ、君のため」の君を国に置き換えて歌っていた。北海道出身の横綱千代の富士の後援会長でもあった。
記念館から天馬街道を走ったところに「中川一郎農林水産大臣生誕の地」という碑が建っている。
黒地に白抜きで書かれている字は広尾町長の泉耕冶氏の書いたもの。この碑の建立にあたって寄付をした人と名前が脇に書いてあった。5万円が11人、3万円が2人、2万円が3人、1万円が17人とあったから、合計で84万円になる。