陸別町(関寛斎)
酷寒の地、陸別にも、大いなる志をもって入植を
果たした開拓者がおりました。
関寛斎 (せきかんさい)
明治35年は関寛斎翁による陸別開拓の第一歩がしるされた記念の年。
33歳で阿波藩の御典医として徳島に招かれ戊辰戦争では医療活動を
行う日本最初の野戦病院で活躍。
戊辰戦争後は徳島に戻り海軍省や甲府の病院長を勤めたりするが、
明治6年にそれまでの地位を捨て町に診療所を開き地域医療の先駆者
として活躍していた。
72歳の時、かねてから計画していた北海道開拓を志し人跡未踏の地、
現在の陸別町斗満に四男又一と共にへ入殖し以後10年陸別の開拓に
人生を捧げる。
72歳で未開の地に旅立つことも、82歳にして服毒し自らの生涯を閉
じる事も想像の範囲を越えているが、壮絶な人生を駆け抜けた関寛
翁の生き様に感銘せずにはいられない。
町内5箇所に関寛斎ゆかりの地がある。
清水町(日勝峠)
日勝峠(にっしょうとうげ)とは、
沙流郡日高町と上川郡清水町の間にある峠。
標高1,023m。道央と道東を結ぶ要衝。
天候がよければ、清水側にある展望台や頂上付近から
十勝平野の展望を望むことができる。
1,000m級の標高とはいえ森林限界に達し、気象条件としては
長野・群馬県境の渋峠(標高2,172m)クラスに匹敵するうえに
道央~道東をつなぐ主要な道路で多くの大型車が昼夜を問わず
通行する産業道路であるため圧雪アイスバーンが形成されやすく
路面状況も含めると世界的にもトップクラスの厳しい峠となっている。
日勝峠を下りて最初の町が清水町。
町には国道38号線が縦断し、札幌・旭川方面の分岐点となっており、十勝地方交通の拠点となっている。
帯広市のベットタウンで市制施行が期待されています。
から流れる音更川は、十勝川に注ぎ込んでいます。
田園風景は、規則正しく刻まれる畑の畝が、
緑の大地に果てしなく続き、緑、黄、金色の小麦、白いじゃがいもの花
のコントラストは、パッチワークのような大地を描いています。
十勝牧場の白樺並木に白緑が芽生え、展望台から望む雄大な牧場風景
と柏の大木は、この地でしか見られない風景です。
また、音更町には世界で2カ所しかないといわれる植物性モール温泉で
知られる十勝川温泉があります。
この十勝川温泉には、11月上旬から4月下旬までオオハクチョウが飛来しております。
広尾町(十勝港)
北の農業を支える港
十勝港は「農業王国十勝」における唯一の海の玄関口であり、
北海道と首都圏を最短距離で結ぶ港湾です。
日本の食糧生産基地十勝を背後圏にしている十勝港は、
昭和45年に重要港湾の指定を受け、長年の悲願であった
関税法に基づく開港が平成11年に実現しました。
また、植物検疫法の指定港にもなり、十勝の特性を生かした
農畜産物の低コスト化・高品質化に欠かせない飼料用原料をはじめ、
農業関連資材などを直接十勝港に荷揚げし、安定供給を目指します。
国内貿易の内訳は、十勝の発展を象徴して農水産品・軽工業品・
金属・機械など多彩な内容となっています。
航路については首都圏との強固なパイプを築く一方、 十勝の企業と
海外との取引きも活発化しており、北米・ヨーロッパ・中国・ロシア
・オセアニアなどその相手国も多様化しています。
上士幌町の糠平湖にあるコンクリート製アーチ橋。
旧国鉄士幌線が開通した際に音更川の支流である
タウシュベツ川に架けられたもの。
橋梁周辺が湖底に沈むことになったため、
士幌線は湖を避けるように新線がひかれた。
その際に、橋梁上の線路は撤去されたものの、
橋梁自体は湖の中に残されることとなり、現在までその姿をとどめている。
糠平湖は人造湖であり、季節や発電によって水位が劇的に変化するた
め、橋梁全体が水に覆われてしまう時期もあれば、水位ゼロとなって
橋梁全体が見渡せる時期もある。
その様子から、「幻の橋」とも呼ばれる。
南部は平野が広がり、畑作地帯となっています。
上士幌町十勝三股までの延長78.3km。
1937年(昭和12年)9月に上士幌~糠平間が、
1939年(昭和14年)11月に糠平~十勝三股間が開業しました。
しかし森林資源の枯渇と車社会の到来によって、
1978年(昭和53年)に糠平~十勝三股間が部分廃止、
その後1987年(昭和62年)には帯広~糠平間も廃止されました。
士幌線は1,000m進むと25登るという急勾配と半径200mのカーブが続き、
終着十勝三股駅は海抜661.8mと北海道の鉄道の中で最も高い位置に
あるなど本格的な山岳鉄道でした。
特に、音更川の渓谷に沿って作られたため、たくさんの橋を作る必要がありました。
そこで、工事費を抑えるために、現地でとれる砂利や砂を使い、なおかつ強度的
にも信頼をおけるアーチ橋をかけることになりました。
また、大雪山国立公園の渓谷美に似合った橋の形にしたいということからも、
アーチ橋とすることになりました。
上士幌町鉄道資料館は、士幌線転換促進交付金を財源に糠平駅跡に建設され、
1988年(昭和63年)1月に開館しました。
駅備品や保線用具等多くの資料を展示し、士幌線の歴史を今に伝えます。
足寄町(ラワンブキ)
帯広市から北に1時間ほど車で走ると足寄町があります。
松山千春と鈴木宗男で知られることになった町ですが、
もうひとつ全国一があります。
足寄町の東に位置する螺湾地区には
「日本一大きなフキ」が自生しています。
フキを傘代わりに掲げたことがあるかと思います。
これが本当の話になります。それほど大きなフキがあるのです。
あなたも「コロポックル」の世界に入れます。
(「コロポックル」というのはアイヌ伝説で、
どこからか山の幸を運んでくる小人の神様。
つまり小人気分になれるということです。)
足寄町(あしょろちょう)は松山千春の出身地です。
ふるさと銀河線の「足寄駅&道の駅」にある写真には実物大
のパネルが飾ってあります。
全国的に有名な「螺湾ブキ」です。
池田町
NHKのプロジェクトXでも紹介されたので、
ご覧になった方もおられるでしょう。
戦後、池田町は十勝沖地震や冷害による不作で、
今の夕張市のような財政再建団体入り寸前までになりました。
昭和27年、当時の丸谷金保町長が冷害の年でも必ず実る
山葡萄に目をつけ「これでワインが作れないか」と考えたの
が十勝ワインの始まり。
12年の歳月で試行錯誤を重ね、昭和39年ブタペストで
開かれた第4回国際ワインコンクールで銅賞に輝き評判となりました。
「ワイン城」というのは、ある町民が呼んだことをキッカケに広まった俗称です。
この建物、正式には「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」という名前で、
町役場にも同じ名前の部署があります。