宗谷総合振興局(商工業)
商業
平成19年商業統計調査における管内の卸売業及び小売業の年間商品販売額は、全道の1.2%を占める2,104億円で、平成16年と比較すると107億円減少。
町村別では、稚内市が管内の年間商品販売額の75.0%を占めています。
事業所数は1,057店と、全道の1.8%。平成16年と比較すると129店減少しており、減少率は10.9%で、全道平均の9.7%を上回っています。
こうした中、稚内市においては中心市街地活性化に向けた取組が進められているほか、地域の商店街ではポイントカード事業が導入されるなど、商業の活性化が推進されています。
工業
平成20年工業統計調査における管内の事業所数は188事業所であり、また、製造品出荷額等の総額は、約980億円で、全道の1.7%を占めています。
産業別では、食料品製造業の割合が89.2%と高く、全道平均の32.5%を大きく上回っており、また、その内訳としては水産食料品製造業が大部分を占めています。
また、市町村別では、稚内市が管内の製造品出荷額等の58.7%を占めています。
管内では、主要農産品である牛乳を使ったチーズなどの農産加工品や、ホタテ、ホッケ、オオナゴなど豊富な水産資源を活用した水産加工品、その他地域の資源を活用した製品の開発・検討が企業や研究会組織において進められています。
宗谷総合振興局(水産業)
全道の漁業生産量(H20)は、数量が約133万トン、金額が約2,806億円となっており、そのうち宗谷管内は、数量で約22万トン(全道2位)、金額で約338億円(全道4位)沿海12支庁のなかでは上位の水揚げを誇ります。
管内の魚種別では、「ほたて」が数量(約59%)、金額(約41%)ともに1位となっており、以下金額で、「なまこ」「ほっけ」「こんぶ」「さけ」「みずだこ」の順で構成されます。
管内の主要魚種は海域により大きく異なり、オホーツク海側は「ほたて」「さけ」「毛がに」が、日本海側は「うに」「こんぶ」「ほっけ」となっています。
持続的な資源の利用を図るため、毛がにの漁獲許容量を設定しており、また、資源の増大を図るため、さけ、にしん、ひらめ等の種苗放流やほっけ、かれい、たら、みずだこ、こんぶ、うに等の漁場の整備を推進しているとともに、漁業生産活動の拠点となる漁港(管内38港)については、生産性の向上や就労環境の改善などを目指し、岸壁・防波堤の整備や防風柵の設置を行っています。
離島地域における漁業就業者は急速に減少・高齢化が進んでおり、新規漁業就業者の確保が大きな課題となっています。このため、関係者で組織する地域漁業就業者対策協議会では、「漁業体験研修(漁師道!)」を実施するなど、地域が一体となった就業者対策に取り組んでいます。
また、若い世代を中心に進行する「魚離れ」の改善を図るため、主に小学生を対象とした地域漁業者(宗谷管内漁業士会)による『出前授業』を実施し、魚食文化や水産業に対する知識と理解を深めています。
宗谷総合振興局(林業)
管内の森林蓄積は、ha当たり98㎥で、全道平均118㎥を大きく下回っています。
これは、過去の伐採や林野火災などにより多くの森林が失われ、加えて宗谷の厳しい気象条件が森林再生を困難なものにしていることに主な要因があります。
このため、無立木地などへの造林、間伐など森林の整備を積極的に進めています。
長期化している木材価格の低迷や林業労働者の減少・高齢化など林業を取り巻く環境は依然として厳しいものがありますが、林業と木材産業の連携強化や森林の整備、木材の生産活動に不可欠な林道網の整備などによりコスト低減に努めています。
また、山地災害の予防・復旧や保安林の整備などを行い、私たちの貴重な財産である国土の保全や森林の持つ公益的機能の高度な発揮を図っています。
森林とのふれあいにより、森林の持つさまざまな働きに対する理解を深める機会として、地域住民、みどりの少年団、ボランティア団体などへの育樹指導や植樹祭開催などを通じ、道民との協働によるみどりづくりを進めています。
管内の農業は、昭和30年代の冷害などを転機として、それまでの馬鈴しょ等の畑作中心から酪農中心へと移行し、地域の気候風土に合った形態へと発展してきました。
広大な1戸当たりの耕地面積を背景とした大規模な草地型酪農が展開される道内有数の酪農地帯となっています。ただし、離島3町では、野菜を中心とした自給的な農業が営まれています。
生乳受託販売量は平成18年度の減産型計画生産により減少したものの、平成19年度から一転して増産型計画生産となり、約28万1千トンとなっております。
農業の国際化などにより畜産・酪農を巡る情勢が厳しくなっているため、管内の酪農経営も一層のコスト低減や良質乳生産の拡大が求められています。このため、計画的な草地整備改良の推進や放牧の導入など自給飼料の有効活用を進めるとともに、家畜ふん尿の適正処理と有効活用による環境調和型農業の推進に努めています。
また、農業者の高齢化や担い手の減少や、1戸当たりの飼養頭数の増加により農作業が重労働となっているため、営農支援組織の育成と、それを核とした協業化システムや、集約型放牧酪農も積極的に推進するとともに、ゆとりある安定的な酪農経営の実現を目指しています。
宗谷支庁(そうやしちょう)は、かつて北海道に存在した支庁のひとつ。
支庁名は北見国宗谷郡に由来。
支庁所在地は、稚内市。2010年4月1日、宗谷総合振興局に改組。
宗谷総合振興局管内は、北海道の最北に位置し、東部はオホーツク海、西部は日本海、南部は上川・留萌及びオホーツク地方に接し、北部は宗谷海峡を経てサハリン(旧樺太)を望み、さらに日本海には利尻・礼文島があります。
総面積は、4,625.09㎢で、全道総面積の約5.5%を占め、ほぼ京都府の面積に匹敵しており、東西148.2㎞、南北100㎞に及んでいます。
管内は、南北にまたがる低山性の北見山地が振興局の境界となってオホーツク海にのび、東部は平坦な臨海地であり、西部は広大なサロベツ原野を経て日本海に接し、南部は徳志別・幌別・頓別の各河川の流域が平野を形成して、オホーツク海に続いています。
また、利尻島は円形で中央に成層火山の利尻山(海抜1,721m)があり、礼文島は南北に細長い丘陵地帯となっています。
北海道内のおもな義経伝説 1
①稚内市 源義経試し切りの岩
第一清浜(オンロコマナイ)海岸に大きな岩が、さながら刀で二つに
切られたようになっているのがある。
昔源義経が逃れ逃れて、ついにこの蝦夷の最北端まできた。
長旅の疲れも加わり、かつても勇将のおもかげもなく、 義経の姿は
みすぼらしく見えたのでしょう。
アイヌの人たちに樺太に渡るための船を出してくれるよう懇願しても
真剣に聞く者はいません。 それどころか嘲笑する者さえいます。
コタンの人々は「あの刀も使いものにならないだろう」と云う声を聞いた義経は、
やにわに腰の大刀を引き抜き、そばの大岩めがけて切りつけた。
不思議なことにさながら大根でも切るが如く、この大岩はパクリと口を開いて二つになったと云う。
驚いた人々は、源氏の大将義経であったことを知り、 船を出して樺太に送り届けました。
アイヌの人々は、 この試し切りされた岩に一行の武運を祈願したということです。
9,236人(人口、2010年6月30日)
最北の宗谷地方の南部に位置する町。
「毛がに」の漁獲高日本一。
町名の由来は、アイヌ語「esausi」(エサウシ/岬の意)によるとしている。
知里真志保「地名アイヌ語小辞典」によれば、エサウシは(エサシ/岬の意)のナヨロ(名寄)地方のアイヌ方言。
鮭の水揚げ産地としては日本で三番目の水揚げ量があり、遡上する前のいわゆる銀毛の鮭が多いため水揚げ高は屈指の水準を誇る。
市場関係者には名が知られ、脂がのったメヂカ鮭や鮭児も水揚げされる。
近年はホタテ稚貝撒き漁業の漁獲高を伸ばし、毎年安定した漁獲量を保っている。
夏でも冷たい海域のために貝毒の発生が少なく、また栄養も豊富であるために貝柱が大きいので、国内消費向けだけではなく、ホタテ貝柱を遠く中国やフランス、北米などに輸出するに至っている。
枝幸町と歌登町が平成18年3月20日に合併し、新しい「枝幸町」が誕生。
ウスタイベ千畳岩
ウスタイベ千畳岩は、冬には間近に流氷を見ることができる。
一面に畳を敷きつめたような岩々が波打ち際まで広がり奇観を呈しています。また、キャンプ施設もあり静かでゆったりと過ごすことができることから、シーズン中は多くのキャンパーが訪れます。
4,136人(人口、2010年6月30日)
最北の宗谷地方東部に位置する町。町内にある
クッチャロ湖は、野鳥がたくさん集まりラムサール条約の保護区に指定されている。
町名の由来はアイヌ語「トー・ウン・ペッ」(湖から出る川)から。
北見神威岬(カムイエトゥ) - 国の名勝
浜頓別クッチャロ湖畔竪穴群 - 道指定史跡
ウソタンナイ砂金遺跡 - 町の文化財
「砂金の町」として知られる浜頓別町。1917(大正6)年に枝幸村から頓別村として分村。4年後に改称して浜頓別村になり、1951(昭和26)年に町制が施行された。
1898(明治31)年、ウソタン川からの砂金産出が始まり、ゴールドラッシュに沸いた。
その場所は現在も「砂金採掘公園」として、夏季には砂金掘りが楽しめる。
町内には日本最北の湖・クッチャロ湖があり、世界一のコハクチョウの飛来地として国際的に注目を集める。
その流域は広大な酪農地帯で、農用地には牧・採草地が広がる。
漁業も盛んで、特産品は毛ガニやホタテ貝、サケなど。