に由来するとする説と、
「アトマプ」at-oma-p[オヒョウニレ・ある・もの(場所)]
とする説などがあるが、古い地名であり、特定は困難な状況である。
ほぼそのまま町域としており、南北に長い。
中心市街地である本町は厚真川中流付近にある。
鉄道や国道は太平洋沿いの浜厚真地区を通過する。
が和人の定住の最初とされる。
苫小牧市との境に苫小牧東港が作られたほか、北海道電力苫東厚真発電所や石油備蓄基地が置か
れている。
早来町(はやきたちょう)
酪農や軽種馬生産などがさかん。
元スピードスケート選手の橋本聖子の出身地として知られる。
町名はアイヌ語の「サク・ルベシペ」(夏に越える沢道)の前半部分を
とって早来(さっくる)と名付けられたのが「はやきた」と読み替えられた、
との説が有力だが、「ハイキト」(麻・カヤのある沼)に由来するとの説もある。
また、JR室蘭本線が予想より早く開通したので、「はやきた」と読み替えら
れた、という説もある。
1894年に早来駅が開業して以来、支安平川流域を中心に入植が行われた。
周辺の人口も増え、苫小牧戸長役場の管轄では不便であることから、1900年
に勇払村の一部(現在の早来町)と植苗村の一部(現在の追分町)を合わせて、
安平(あびら)戸長役場を置いたのが町のはじまりである。
追分が鉄道の分岐点で商工業の中心であったのに対し、早来は農業を中心に発展した。
南部の遠浅地区には牧場が作られ、昭和初期に滝川からの入植者によって本格的に始められ
た酪農は大きく発展した。
そもそも安平村設置の時から役場の場所などを巡って対立のあった追分と早来であったが、
1952年に追分高校設置案が議会で否決されたことで亀裂は決定的となり、追分村が分村した。
しかし2004年4月、早来町と追分町は法定合併協議会を設置し、再合併に向け協議を続けてき
た結果、両町は合併で合意し、2006年3月27日に新設合併して安平町(あびらちょう)
とすることが決まった。
農業が基幹産業。特に遠浅地区での乳牛生産は有名で、
ここで改良された牛は全国へと送り出されている。
また早来富岡の吉田牧場、早来源武のノーザンファームなど競走馬生産も盛ん。
中央競馬で活躍し、種牝馬としても多くの産駒を送り出したマルゼンスキーや
2005年に三冠を達成したディープインパクトも早来町で生産された。
苫小牧東部工業地域に隣接していることから工業誘致にも積極的。
ゴルフ場が多い。
1986年から売り出されたふるさと小包「雪だるま小包」でも知られる。
秀峰羊蹄山の南麓に広がる真狩村は、じゃがいも・
人参・大根・アスパラなどの生産が盛んな農村で、
特にゆり根の生産量は日本一を誇ります。
羊蹄山が生み出す「神の水」(カムイワッカ)と
称される清らかな水と肥沃な大地に育まれた自慢
の一品です。
また、花卉の振興しており、ユリの女王カサブランカ
の切り花など花ユリの生産が有名です。
「レストラン・マッカリーナ」や源泉100%で露天風呂から見える羊蹄山が絶景の
「まっかり温泉」、花をテーマとした癒しの道の駅「真狩フラワーセンター」、
「羊蹄山の真狩登山コース」などがあり、北海道らしいゆったりとした時間を過ご
すことができます。
角界のプリンスと呼ばれた。
大相撲の歴史上、また日本のスポーツ史上屈指の人気を誇った。
元横綱・3代目若乃花でタレントの花田勝と一代年寄り貴乃花光司の父。
母は武ノ里武三の又従姉。夫人は元女優でタレントの藤田憲子(2001年(平成13年)離婚)。
に弟ができたと聞かされ「最初は両親ではなく別の親族の子供だと思っていた。
いい加減何人産むつもりなんだ。」と半ば呆れたという。
高田康雄とライバル関係にあり、二人で交互に中学記録を更新した)で名を上げ、オリンピック選手
の候補になるほどだった。
家出同然で同郷である幕内力士双ッ龍を頼り、「ワシが帰りの切符買ってやるから」と
一旦は断られるがしぶとく居座り、そうしている間に帰って来た時津風が弟子入りを許し
1954年(昭和29年)に時津風部屋に入門し同年5月場所で初土俵を踏んだ。
についたがそこでも8戦全勝と言う成績を挙げ、その後も三段目、幕下で全勝優勝、十両でも優勝し、
1958年(昭和33年)11月場所に入幕を果たした。
横綱大鵬からも11勝をあげ、対大鵬戦では柏戸の16勝に次ぐ勝利数をあげている。
一時は「優勝のカギを握る男」と評された。
忘れっぽい鬼 (1989年、週刊少年ジャンプ ウインタースペシャル掲載作品)
たとえ火の中…(1990年、週刊少年ジャンプ第25号掲載作品)
七つの海 (1991年、週刊少年ジャンプ第21・22合併号掲載作品)
COM COP (1991年、週刊少年ジャンプ第39号掲載作品)
COM COP2 (1992年、週刊少年ジャンプ第10号掲載作品)
KING -キング- (1992年、週刊少年ジャンプ第49号掲載作品)
クリスマスプレゼント (1993年、週刊少年ジャンプ第3・4合併号掲載作品)
COM COP3 ~夢見る佳人~ (1993年、週刊少年ジャンプ第52号掲載作品)
リアルマジック (1994年、サマースペシャル掲載作品)
(漫画家、旭川市生まれだが、幼少期の大部分を室蘭市で過ごす)
に掲載された『白い鮫のいる島』でデビュー。
五十岸ひとみ、五十嵐優美子(本名)、山川虹子(漫画原作者として)
などの筆名でも執筆をしている。
長嶋 有
長嶋有は3歳の時、埼玉県から登別市に移住しました。
登別市立幌別小学校、室蘭市立港南中学校、北海道立室蘭清水丘高等学校、
東洋大学二部文学部国文学科を卒業しました。
一時会社勤務後文学修行を続けていました。
平成14年「猛スピードで母は」で第126回芥川賞を受賞しました。
贈呈式には、室蘭からは駒木室蘭文学館の会会長と三村文芸協会会長も参加
しました。
三浦清宏先生がお骨折り下さったお陰でした。
受賞作「猛スピードで母は」には中学、高校時代に住んでいた港南町の情景描写がたくさん出てきます。
「M市は北海道の南岸沿いの小都市だが、背後を背の低い山が囲んでいた。
だから海から流れてくる雲が停滞しやすいのだと・・・。」
「団地のすぐ近くには市営の水族館がある。母の生まれる前からあるという古い建物だ。」
情景描写の巧みさは「パラレル」「泣かない女はいない」等近作にも充分発揮されています。
2001年「夕子ちゃんの近道」で第1回大江健三郎賞を受賞しました。
ブルボン小林名でのエッセー、肩甲の俳号で俳句、共に精力的に執筆活動を続けています。
三浦清宏は、母・喜代子の実家、室蘭市の小林写真館(海岸町)
で生まれ、双葉幼稚園に通園しました。
父義治は当時日立製作所名古屋支店長でした。
小林写真館は木造三階建屋上付きのモダンな建物で、現在の
中央町1丁目にある写真店と室蘭商工信組のところにありました。
その後のアメリカ生活と共に三浦文学の原点となっています。
三浦は文学講演会や取材のため、室蘭に何回も来訪しています。
1991年に室蘭ルネッサンス主催で、同じ室蘭出身の芥川賞受賞作家八木義德氏
と共に講演を行ったり、長年室蘭文学学校夏期特別集中講座講師を務めました。
また室蘭文芸協会主催の「現代文学の夕べ」等で講演活動を行っています。
2004年11月、三浦氏はこれらの文学振興の活動が高く評価され、室蘭市より
教育文化功労者として表彰されました。
2006年秋に上梓した「海洞-アフンルパロの物語」は地元紙「室蘭民報」に
足かけ4年にわたり連載されたもので、2006年12月日本文芸大賞を得ました。
和・洋・霊の要素を取り込んだ作品群は秀逸です。
文学館に、三浦清宏文庫(全7,000冊)があります。