八木義德は室蘭郡室蘭町大町(現室蘭市中央町1丁目)33番地
に、父田中好治、母八木セイの次男として出生。
当時父は町立室蘭病院長でした。
大正13年(1924)年武揚尋常高等小学校を卒業。
同年室蘭中学校(現室蘭栄高等学校)に入学、剣道に熱中します。
昭和6年、当局の左翼学生弾圧により北大を自主退学して室蘭に帰り、
その後、上京して昭和10年4月早稲田大学文学部仏文科に進学します。
卒業後民間企業に就職、昭和19年2月、遺書のつもりで書き上げた小説「劉廣福」を脱稿、
この作品で第19回芥川龍之介賞を受賞します。
平成元年秋の叙勲で勲三等瑞宝章を受章、12月文部大臣より「日本芸術院会員(第2部)」に発令されます。翌年「室蘭市名誉市民」に顕彰され、3月「八木義德全集」(全8巻)が福武書店より刊行されました。
闘争とエロスを原風景として、書き続けた八木義德は戦後文壇上の「最期の文士」と言われています。
昭和55年室蘭測量山の中腹に文学碑が建立されています。
文学館には八木義德文庫(全12,000冊)があります。
三石(みついし)の由来はアイヌ語ピットウシからで、小石の多い土地
という意味。
この小石の浜が最高品質の昆布を生み出す元になっている。
小石の隙間が良いほど通気があって旨み成分が昆布に凝縮されるの
だという。
しかも干して2、3時間が勝負だそうだ。
長いのも特徴で天気がよければ海中の昆布は1日30センチも成長する。
この昆布に正式和名(学名)「ミツイシコンブ」をつけたのがクラーク博士の教え子、宮部金吾だった。
明治35年のことである。
大正7年札幌市の貯木場と製材所を今の中島公園に造成して開道50周年博覧会が開かれたが、
このとき見事北海道長官賞をとり、宮内庁ご用達の栄誉を勝ち取る。
以来、最高峰の昆布の座を守り続けている。
昆布は蝦夷から出荷する中国向け海産物、干あわび干なまこともに貴重な輸出品だった。
初めは松前周辺が昆布漁場だったが、枯渇してしまう。
そこで商人たちが目を向けたのが日高の良質な昆布であった。
日高海岸は砂浜が多く、岩礁が少なかったので山の岩を削り、海へ沈めるという大変な苦労をしたのだった。
藩は脱藩禁止令を出し、渡島の国縫を守備させる。
アイヌ軍、初めは得意の毒矢で松前軍を悩ませていたが、
幕府は島原の乱以来の大騒動と津軽、南部、秋田藩に出兵を命令する。
8月幕府軍が到着するとシャクシャイン軍、鉄砲の威力に歯が立た
ず敗走した。
総勢628人に達する幕府軍は3方向に分け、奥地へ逃げる敗走軍を追う。
ゲリラ戦を恐れた幕府軍は新冠でシャクシャインへ講和を持ちかけた。
出てきたところをだまし討ちにあわせる。
和人のいつもの戦法だった。
かくしてシャクシャインの望んだ民族統一、和人横暴への怒りはここに崩壊してしまう。
その後、多少の抵抗はあっても総てのアイヌグループは松前藩へ従属を約束してしまう。
これもアイヌの生活がもはや和人との交易無くしてはやっていけなくなってしまったからだ。
1669年4月将軍家綱の頃、勢力がすっかり衰えたオニビシ側は使者を松前藩へ
送り武器の調達を頼む、アイヌ間の抗争へ深入りしたくない松前藩はあっさりと断る。
使者はその帰り道八雲町あたりで天然痘にかかり病死してしまう。
この期を逃がさじとシャクシャインは松前藩による毒殺だとし、われわれの自由を
勝ち取ろうと蝦夷全域へ檄(げき)を飛ばした。
6月には幌別(現登別)から白糠までの間で11艘、歌棄(ウタスツ)から祝津(小樽)と
増毛で8艘の船が襲撃され、273人の和人が殺された。
かつて無い大蜂起である。
勢いに乗じてシャクシャインは大群を松前へ進める。驚いた和人の大勢は津軽へ逃げる。
松前藩は砂金堀場を守るために
オニビシに上流側の狩猟権を与えて対抗させていた。
シャクシャイン側は河口の高台にチャシ(砦)を建て監視し、
オニビシも出城を建てて対抗した。
こんなにらみ合いが1669年将軍家光の頃から続いていた。
ことの発端は両勢力の酒宴でオニビシ配下の者がシャクシャイン側に殺されてしまう。
以来6年間戦いを続けるが、ある日オニビシ軍の急襲でシャクシャイン側の
首領カモクタインが戦死。
難を逃れたシャクシャインとオニビシはそろって福山(松前)まで行き和解をする。
だが平和は続かず1662年再び戦いを開始する。
そこへ藩命を受けて調停に乗り出した砂金堀元締め文四郎の館で
オニビシはシャクシャインに討ち取られてしまう。
新ひだか町 2
○新ひだか町静内郷土館
日高郡新ひだか町静内古川町1-1-1
・北海道指定有形文化財
「静内御殿山墳墓群出土の遺物」
・新ひだか町指定有形文化財
「静内中野式土器」
・日本国初幕府ロシア留学生・山内作左衛門による
静内川踏破の記録「染退水源之記」
・吉永小百合主演映画「北の零年」のモデル、
徳島藩家老・稲田邦植とその家臣団の「静内移住関係資料」
○新ひだか町三石郷土館
日高郡新ひだか町新ひだか町三石本町212
・旭町1遺跡出土、縄文時代晩期(約3,000年前)の「壷形土器」
○新ひだか町アイヌ民俗資料館
日高郡新ひだか町新ひだか町静内真歌7-1
・新ひだか町指定有形文化財
「エゾオオカミ」(頭蓋骨)
・アイヌ民族の外洋船「イタオマチプ」
・館の前庭「アイヌ野草園」
新冠町
ハイセイコー、オグリキャップ、マヤノトップガン、ナリタブライアン
を生んだ競走馬のまち「新冠町」。
しかし、レコード好きの若者たちの「レコードを失いたくない」という声
から始まった運動が町を動かし、「レ・コード館」の設立となり新冠町
のまちづくり全体のコンセプトとなった。
サラブレッド銀座とレ・コード館、道の駅、レ・コードの湯が
新冠町観光の中心。
膨大なレコードライブラリーを中心に、20世紀の音楽文化を伝える
「聴体験文化交流施設」。
ミュージアム、レ・コードホール、リスニングブースなどがある。
館内では全国から集まったレコードコレクションをすべての人に開放しており、
レコードに関する様々な歴史、進化の様子を体験することができる。
また展望タワー「優駿の塔」では新冠の町並みや牧場風景、日高山脈から太平洋まで360度のパノラマで見ることができる。