場所:檜山郡江差町字本町71
札幌から中山峠を通る230号で終点瀬棚まで行き、小樽からの
229号線に乗り継いで終点まで走ると「江差」に到着する。約6時間。
江差は6回ほど訪問しているが、行くたびに新しい発見をする町だ。
法華寺もそのひとつ。
京都のように観光寺としての様はなく、日常の住まいとしてお寺が存在する。
しかし、このお寺の創立は室町時代で、350年ほど前にこの場所に移転して
きたものである。
さらに、中をのぞくと天井に描かれている「八方にらみの龍」は、日本文人画の第一人者、
池大稚の作という。
普通のお寺に、普通のお上さんが現れて案内をしてくれるところに何故かほっとするものがある。
⑧江差町 義経の馬岩
愛馬を残して北へ向った義経。
白馬はそのまま白い岩となり、今も主人の帰りを待ちわびて…
待ち続ける義経の愛馬。馬岩 (江差町鴎島)
桧山道立公園の中心地、江差町。
江差港の沖に鴎が翼を広げたような形をしている島が鴎島です。
鴎島の東側、えびす浜に面した波打ち際に、白馬が首をあげ
いなないているかのように見える岩があります
。ここに義経の愛馬が、今もなお帰らぬ主人を待ちわびています。
津軽の三厩で3日3晩渡海を祈り続けた義経は 白髪の老人に
3頭の白い馬を与えられます。
これが三馬屋(三厩)の地名の起こりと伝えられています。
さて、江差にたどりついた義経は、 ここに愛馬を残してさらに北へ向っていきました。
白馬はそのまま白い岩となって残っています。
夷王山は「いおうざん」と読む。
上ノ国町市街地に程近い標高159mの山である。
国道228号線道の駅もんじゅ近くから左折し分岐した道
路を500m、山の中腹まで車で登ることができ、駐車場か
ら徒歩で山頂まで登ることが可能である。
山頂には鳥居が置かれており、1457年のコシャマイン
の戦いでコシャマインを討ったことで知られる武田信広
を祀る「夷王山神社」がある。
彼は勝山館に八幡宮を建立し、1494年に勝山館にて64歳で死去、
夷王山に埋葬され、後の松前氏の祖の一人となった。
また、かつて勝山館天守閣であったともされている。
1960年の檜山道立自然公園指定の際にこの地域が含められた。
中世史跡公園とも呼ばれる地区である。
江差の繁次郎(民話)
国道227号線沿いの「道の駅・江差」には、
繁次郎の像がヒョーキンな顔で立っている。
文化年間の生まれで明治の初めに六十才くらいで死んだという。
繁次郎の“とんち”話として伝えられているものの中には、
落語のネタや諸国の“とんち”話と共通するものも少なくないが
江差地方でなければ筋道の合わないような“とんち”話も残されている。
近所の若い者が集まっているところへ、ぶらりとやって来た繁次郎。
「どうだおめえたち、俺と賭けをやる者はいねえか」
「また一杯食わせる気だべ」
「ま、聞けてば。あのな、豆腐一丁ば四十八に切って、一口ずつで食うんだ」
「そったらこと、赤ビッキ(赤ん坊)でもできるべせ」
「本当だな。いいか豆腐を四十八に切って、一つずつ食うんだぞ。
見事に食った者にァ一升やるが、もし食い切れなかったら俺がそいつから一升もらう」
こんなわけで早速一升の賭けが始まった。
豆腐一丁がまな板に上げられると、うやうやしく包丁を取り上げた
繁次郎は、まず豆腐の小口を薄く一枚に削り取り、それをコチャコチャと四十七に刻んだ。
そして残った大きな豆腐と合わせて四十八を相手に差し出し
「さ、見事に一口ずつでマグラって(食べて)みろ」
どんな大口を開けても最後の一口だけはなんともできず、この賭けは繁次郎の勝ちに決まった。
横山家(江差の百選・建物)
道有形民俗文化財に指定されている、旧回船問屋です。
横山家は
明和6年(1769)から漁業、商業、回船業を営んでいましたが、
明治25年に火事で焼け、
旧建物を再現して現在の横山家を建築しました。
正面から入ると、土間庭と店舗部分があり、奥には土蔵が
4つありますが、この土蔵は焼けておらず江戸時代からの
貴重な文書等も、焼失を免れたそうです。
土蔵のさらに奥からは、昔は海に直接続いていて、接岸した
船が荷積みを直接店から行えるようになっていました。
現在は国道に面しています。
現在でも横山家には横山さん一家が住んでいて、中へ入ると
横山家やニシンのお話などのガイドをしていただけます。
にしんそばも食べられます(900円)。
京都名物として知られる「ニシンそば」は、
かつて江差から北前船によって日本海を経由して、周山街道、若狭街道の
ニシンロードで運ばれたニシンによって作られたもの。
「それならもともとのルーツは江差ではないでしょうか」
と言うのは、江差町で現在もニシンそばの味を守っている横山家ご主人のご意見です。
江差追分 (追分会館
一種のはやり唄として全国各地に広まり、越後に伝わったものは
船歌として船頭たちに唄われるようになって、
今から200有余年ほど前に北前船によって江差に運ばれてきた
といわれています。
さらに江差では、座頭佐之市がケンリョウ節と追分を融合させて
独特の音調をもつ江差追分を誕生させた。
昭和38年から開催している江差追分の全国大会。
江差追分会は全国に155支部、3,928人(平成18年4月現在)
の会員を有しています。
江差追分会館
昭和57年に町民や追分愛好者の厚意によって建設されました。
館内には、追分資料室・伝習演示室・追分道場等、江差追分を心行くまで堪能できる、
正に「追分の殿堂」としての機能を充実しております。
姥神大神宮 うばがみだいじんぐう
北海道最古の神社が江差町にあります。
社伝では鎌倉時代(1216年)の創建と伝えている。
「折居様」と呼ばれる老姥が津花に庵を結んでいたが、
ある夜、神島(かむいしり)から光が発せられているのを見て島に渡り、
そこで老翁に会った。
老翁から瓶子(とつくり)を授けられ、
「その中の水を海に撒くと鰊という魚の群れがやって来る」と教えられた。
老姥はこのことを村人に伝え、網を作らせ水を撒いて大漁となり、
飢を救った。
その後、老姥は姿を消したが、庵に残されていた神像を「姥神」
として祀ったのが当社の始まりという。
現在境内にある折居社は、後に姥神を祀ったものであるという。
折居婆さんを祀る折居社跡地が、アネロイド気圧計のある通りに残されています。
また、折居婆さんが投げた瓶子は、鴎島そばの「瓶子岩」となったのだそう。
例祭は8月11日で、10日から江差の町中を山車行列が巡る「姥神大神宮渡御祭」は、
今からおよそ350年前から始まったという、北海道の中でも最も古い歴史を持つお祭です。