開拓使設置
明治2年7月2日
新政府は明治元年4月に箱館裁判所(後の箱館府)を置いたが、箱館戦争の終結後、
明治2年8月にこれを廃止し、新たに開拓使を設置した。
これが明治15年2月までの北海道開拓の中心となった。
開拓使では明治2年9月に、第一回募移民として東京府から約500人の浮浪者を樺太・
宗谷・根室に入植させた。彼らには渡航費のみならず家屋、3年間にわたる食糧・開墾料
の扶助が与えられたが、気候・土壌が悪かったことも重なって扶助期間が過ぎると離散し
てしまった。移民に対する扶助の方法からすると、幕末期の御手作場の募移民の延長と
も思われる。
当時の中央政府は北海道開拓のみに専念することはできなかったから、すでに明治2
年7月の太政官布告をもって諸藩士族・庶民の開拓志願者に土地を割り渡すことにして
いた。これに対して、1省1府25藩8士族2寺院が応じて開拓を志願し、支配を命ぜられた。
(北海道分領支配制度)
この大方は志願のみで開拓の成績は芳しくなかったが、明治3年春から開始された
伊達士族の移住・開拓など、その後の見本となるような事例も見出される。
北海道の人口増
明治2年には約6万人に過ぎなかった北海道の人口は、
開拓使(明治2年8月~明治15年2月)、3県1局時代(明治15年2月~明治19年1月)
を経て北海道庁(明治19年1月~昭和22年5月)が設置された明治19年には、約30万人
となった。
その後、急激に増加を続け、明治34年には100万人を超え、開道50年にあたる
大正7年には217万人を数えるまでとなった。
また、明治19年には3万町歩(ヘクタール)にも満たなかった耕地面積も、大正7年には
約80万町歩に達します。
津軽海峡を渡った最初の士族を含めて、新政府の政策(移民・土地)を交えて
このコーナーでは綴ってゆきます。
華族(かぞく)制度 その3
子爵
公家からは伯爵の要件を満たさない堂上家
武家からは維新前に諸侯であった家が子爵相当。
分家で本家が高い爵位を持っている特例として子爵をあたえられた。
子爵を与えられた分家華族としては、近衛秀麿家(公爵近衛家の分家)、
徳川武定家(侯爵水戸徳川家の分家(松戸徳川家))
松平慶民(侯爵福井松平家の分家)の3家。
「国家に勲功ある者」明治維新前後に活躍した者の家が子爵に叙せられた。
男爵
明治維新後に華族とされた家(附家老家、奈良華族等)が男爵相当。
押小路家・壬生家の2家は堂上家に準じて男爵を与えられた。
琉球王家の尚氏の分家であった今江家、今帰仁家の2家も男爵。
「国家に勲功ある者」として、明治維新前後に活躍した者。
公家の叙爵にあたって家格はある程度考慮。
武家は徳川家以外は石高のみが選定基準となった。
華族(かぞく)制度 その2
最初の叙爵
公爵
公家からは五摂家、武家からは徳川家宗家。
公家からは三条家(三条実美の功)、岩倉家(岩倉具視の功)
武家からは島津家宗家(薩摩藩主島津忠義の功)、
玉里島津家(島津久光の功)、
毛利家(毛利敬親の功)が公爵に叙せられた。
侯爵
公家からは清華家、武家からは徳川御三家と現米15万石以上の大名家。
琉球国王であった尚氏。
「国家に勲功ある者」として、木戸家(木戸孝允の功)、
大久保家(大久保利通の功)
中山家は中山忠能が明治天皇の外祖父であったことが考慮。
伯爵
公家からは堂上家、
武家からは徳川御三卿と現米5万石以上の大名家。
東久世家は東久世通禧の功。
武家のうち対馬藩主宗氏は朝鮮外交の担当者であることが考慮。
平戸藩主松浦家は中山忠能夫人が明治天皇の外戚に当たることが考慮。
西本願寺・東本願寺の世襲門跡家であった両大谷家も伯爵となった。
「国家に勲功ある者」として、伊藤博文・黒田清隆・井上馨・西郷従道
山県有朋・大山巌等といった維新の元勲達が伯爵に叙された。
華族(かぞく)制度 その1
華族とは、1869年~1947年まで存在した日本近代の貴族階級。
明治2年6月17日、版籍奉還と同日に出された行政官布達、
従来の身分制度の公卿・大名の称を廃し、華族となることが
定められた。
この華族の中からも、北海道に開拓を目指して入植した人た
ちがおります。
公家137家・諸侯270家・明治維新後に公家とされた5家、
維新後に諸侯とされた家16家の合計427家は新しい身分層
である「華族」に組み入れられた。
この後も新たな華族が加えられ、7月中に三度行われ、
509人の有爵者が生まれた。
しかし、この内規は公表されなかったために様々な憶測をうみ、
叙爵に不満を持つ者も現れた。
北海道人のルーツ
明治2年<北海道分領支配制度>
北海道の分領支配11カ国86郡を一国ごとに紹介します。
根室国
国 名 |
郡 名 |
管轄者 |
支配期間 |
備 考 |
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花咲郡 |
増上寺 |
2.12.10-3.10.10 |
徳川家の菩提寺 |
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(志古丹) |
稲田邦植 |
3.10.15-4.8 |
徳島藩士・稲田九郎兵衛邦稙 |
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花咲郡 |
東京府 |
3.6.17-3.10.9 |
1868年5月12日 江戸府として設置 |
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根室国 |
根室郡 |
同年7月17日に 東京府に改称された |
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(ねむろ) |
野付郡 |
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5郡 |
標津郡 |
熊本藩 |
2.8.28-4.3.14 |
旧肥後藩 |
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仙台藩 |
4.5.12-4.8 |
旧仙台藩 |
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目梨郡 |
熊本藩 |
2.8.28-4.3.14 |
旧肥後藩 |
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仙台藩 |
4.5.12-4.8 |
旧仙台藩 |
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北海道人のルーツ
明治2年<北海道分領支配制度>
北海道の分領支配11カ国86郡を一国ごとに紹介します。
本州の県人が、津軽海峡を渡って北海道に入ってきました。
釧路国
国 名 |
郡 名 |
管轄者 |
支配期間 |
備 考 |
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足寄郡 |
兵部省 |
2.9.14-3.1.8 |
兵部省は会津降伏人処置のため |
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福山藩 |
3.5.3-4.6 |
旧福山藩 (備後国南部、備中を領有) |
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白糠郡 |
兵部省 |
2.9.14-3.1.8 |
兵部省は会津降伏人処置のため |
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福山藩 |
3.5.3-4.6 |
旧福山藩 (備後国南部、備中を領有) |
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釧路国 |
阿寒郡 |
兵部省 |
2.9.14-3.1.8 |
兵部省は会津降伏人処置のため |
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(くしろ) |
福山藩 |
3.5.3-4.6 |
旧福山藩 (備後国南部、備中を領有) |
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7郡 |
網尻郡 |
広島藩 |
2.8.28-3.10 |
旧広島藩 (安芸国と備後国の半分を領有) |
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釧路郡 |
佐賀藩 |
2.8.17-4.8 |
旧肥前藩 |
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川上郡 |
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厚岸郡 |
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