- 2025/02/09 [PR]
- 2011/10/18 北海道の歴史(年表) 明治17年
- 2011/10/17 明治16年 <信濃開拓地/札幌市厚別区>
- 2011/10/16 明治16年 帯広の開拓<静岡出身の晩成社>
- 2011/10/15 明治16年 <大江村の開拓>
- 2011/10/14 北海道の歴史(年表) 明治16年
- 2011/10/13 明治15年 <篠路興産社・滝本五郎>
- 2011/10/12 明治15年 <国稀(日本最北の酒蔵)>
- 2011/10/11 明治15年 <北海盆唄>
- 2011/10/10 明治15年 <空知集治監>
- 2011/10/09 北海道の歴史(年表) 明治15年
2011/10/18 00:38:32
1884年(明治17年) | |||||||||||
1月23日 | 「八雲小学校黒岩分校」開設。 | ||||||||||
3月10日 | 芝浜離宮の延陵館に天覧相撲催され初代梅ケ谷に横綱を許される。 | ||||||||||
3月17日 | 憲法制定取調局設置され、参議伊藤博文が長官を兼ねる。 | ||||||||||
4月7日 | 山本長五郎(清水次郎長)、賭博で懲役7年、罰金400円に処せられる。 | ||||||||||
5月 | 琴似屯田兵を第一中隊、山鼻を第二中隊、江別と篠津を第三中隊に編成。 | ||||||||||
7月7日 | 華族令定める(爵位公・侯・伯・子・男の五位の制成る) | ||||||||||
10月6日 | 設村の告示により岩見澤(イワミザワ)村となり、戸長役場、郵便局も設けられ、開拓 | ||||||||||
の事業も順調に進み活気のある村となってきた。 | |||||||||||
(明治17~18年には、山口県・鳥取県ほか10県からの士族277戸、1,503人の集団移住に | |||||||||||
より、初めて開拓の鍬は打ち下ろされました。) | |||||||||||
※ | 宮内省の所管に変更になり新冠御料牧場となる。 | ||||||||||
※ | 私立赤心小学校を教会兼用として建て、日曜日は安息日としてキリスト教講話や | ||||||||||
道徳などの寺小屋式教育を始めた。 |
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2011/10/17 00:12:15
<信濃開拓地/札幌市厚別区> |
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厚別地区の本格的な開拓は、明治15年に、この地を経由して、札幌と | ||||||
幌内炭鉱(三笠市)の間に鉄道が開通したことから始まりました。 | ||||||
現在の厚別中央から厚別西にかけての、JR厚別駅周辺には、明治16年に | ||||||
河西由造たち8戸が入植しました。 |
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この人たちは、長野県出身で、当時長野県のあたりを「信州信濃」と呼ん | ||||||
でいたことから、この入植地も、通称「信州開墾地」とか「信濃開拓地」 | ||||||
と呼ばれるようになりました。現在も、小・中学校や神社・公園などに、 | ||||||
この名が残っています。 |
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明治18年になって、現在の青葉町ともみじ台を含めた下野幌地区に、 |
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石松弥七と小ケ口石太郎が、上野幌地区には小ケ口石松、石井市郎 | ||||||
兵衛、大崎三平、太田鉄五郎らがそれぞれ入植しました。 | ||||||
また、大谷地にも阿住勘五郎、駒林鉄五郎が入りました。 | ||||||
現在の厚別北と厚別東を含む小野幌地区は、これより少し遅れて、明治 | ||||||
22年に秋本槌五郎が入り、炭焼きを始めました。 | ||||||
山本地区は、さらに遅れ、小樽の山本久右衛門が、北海道からこの地の払 | ||||||
い下げを受け、明治42年から開墾に着手しました。 | ||||||
この後も、多くの開拓者が厚別地区に入りましたが、白石区のように、 | ||||||
本州からの集団で、直接移住したのではありません.小樽や札幌の中心に | ||||||
いったん定住した後、移り住んだ人がほとんどでした。 |
2011/10/16 00:08:09
帯広の開拓<静岡出身の晩成社> |
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帯広の街は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による開拓ではなく、静岡県出身 | ||||||
の依田勉三率いる晩成社一行が明治16年に入植したのが開拓の始まり。 |
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依田勉三の北海道開拓の志をもとに、土地開墾、農業、牧畜、造林などを目 | ||||||
的として明治15年、静岡県伊豆国那賀郡大沢村(現、賀茂郡松崎町大沢)で | ||||||
同地の豪農、依田家によって結成された会社です。 | ||||||
(資本金を5万円。当時の1円は、現在の4000円)。 | ||||||
明治16年に現在の帯広市へ入植し、3年後の明治19年に大樹町生花晩成 | ||||||
地区で晩成社当縁牧場を開設し、牧畜業を始めました。 | ||||||
依田勉三が「開拓のはじめは豚とひとつ鍋」と詠んだように、一つの鍋で全 | ||||||
ての煮炊きをした。 | ||||||
明治28年に通称十勝監獄が開設され、受刑者によって大通が整備され市街地 | ||||||
が形成された。市街は計画的に整備されており、帯広駅を中心に碁盤目状の | ||||||
区画が四方に広がり、大通公園から北東、北西、南東、南西に対角線方向の | ||||||
道路(火防線)が設けられている。 |
2011/10/14 00:04:27
1883年(明治16年) | |||||||||||
2月16日 | 天気図初めて発行される(七色刷りの天気図で一日一回発行) | ||||||||||
3月9日 | 大江村の成立。山口県からの移民を中心に大江村が開拓される。大江は、山口県を支配 | ||||||||||
した毛利氏の子孫とされる大江広元にちなむ。 | |||||||||||
5月 | 静岡県出身の依田勉三率いる「晩成社」が帯広に入植。 | ||||||||||
※ | 現在の札幌市厚別駅周辺に長野県出身の河西由造たち8戸が入植した。 | ||||||||||
「信州信濃」と呼んでいたことから、「信州開墾地」とか「信濃開拓地」と呼ばれるよ | |||||||||||
うになった。 | |||||||||||
11月28日 | 鹿鳴館、開館式挙行。 | ||||||||||
※ | 移住士族取扱規則により、岩見沢に札幌県勧業派出所が設置される | ||||||||||
※ | 創成小学校を附属として札幌県師範学校が創立 | ||||||||||
※ | この頃からアイヌに対する強制移住が始まる。 | ||||||||||
2011/10/13 00:53:28
<篠路興産社・滝本五郎> | ||||||
板野郡長江村(現・鳴門市大津町)出身の滝本五郎は、北海道に移住 | ||||||
して大農法による農場開拓を目指し、明治14年、実弟阿部興人と組ん | ||||||
で徳島興産社を設立した。 | ||||||
明治15年5月、47歳で篠路に入地。同18年には札幌郡篠路村の興産 | ||||||
社農場に製造所を設けて蒅(すくも)の製造に乗り出した。 | ||||||
興産社は利子補給の特典を受ける保護会社となり、北海道庁の支援を | ||||||
受けながら、製藍事業を進めた。 | ||||||
同28年には製藍高4万3000貫に達し、北海道藍は本場の阿波藍を圧 | ||||||
迫するほどであった。しかし全国の伝統的な製藍業が化学染料の合成 | ||||||
藍に押されて衰退していく中で、明治30年には書業の中止を余儀なく | ||||||
されていった。 | ||||||
現在、民芸ブームの中で伝統的な藍染めが見直され、壊滅状態にあっ | ||||||
た藍が復活しているが、北海道では徳島県出身の篠原家が伊達市で今 | ||||||
も藍づくりを続けている。 | ||||||
また現在の札幌市北区篠路町の「あいの里」は、興産社の藍を地名の | ||||||
ゆかりとしている。 |
2011/10/12 00:52:08
<国稀(日本最北の酒蔵)> | ||||||
国稀は明治15年、初代本間泰蔵が、増毛郡役所に醸造免許鑑札願いを届け出 | ||||||
て創業した。本間泰蔵は、嘉永2年(1849)新潟県佐渡の仕立て屋の三男として | ||||||
生まれ、明治6年23歳で小樽に渡り呉服店の養子格の番頭として働き、ニシン | ||||||
景気でわく増毛にしばしば行商で来ていましたが、明治8年に増毛に移り住み | ||||||
呉服商を始めた。 | ||||||
明治15年には「丸一本間」を名乗り、本業の呉服商の他に、荒物雑貨販売、 | ||||||
呉服雑貨や漁獲物の輸送のためだけではなく、地域住民の需要を満たす海運 | ||||||
業、当時この地第一の産業であったニシン漁にも手を拡げ、醸造業も始め | ||||||
るに至った。 |
2011/10/11 00:50:50
<北海盆唄> | ||||||
北海盆唄は、北海道の民謡。北海道の盆踊りで使用される曲でもある。 | ||||||
三笠市幾春別(いくしゅんべつ)の炭鉱が発祥の地であり、北海道各 | ||||||
地でお盆になると盆踊り用の曲として用いられる。 | ||||||
元は「べっちょ節」(炭鉱節)と呼ばれる卑猥な歌詞を持つ歌であり、 | ||||||
炭鉱労働者が盆踊りとして踊っていたものであるが、昭和15年頃,太 | ||||||
平洋戦争後(昭和15年8月)、「北海民謡の父」といわれる今井篁山が | ||||||
歌詞・曲調を見直し、三橋美智也の歌によりレコード化、大ヒットし | ||||||
たことがきっかけに全国的に普及した。 | ||||||
『8時だョ!全員集合』のオープニングテーマは、この曲の替え歌であ | ||||||
る。 | ||||||
1番 | ||||||
ハアー 北海名物 | ||||||
ハアー ドウシタ ドウシタ | ||||||
数々コラあれどヨー | ||||||
ハアー ソレカラ ドウシタ | ||||||
俺がナー 俺が国サーのコーリャ | ||||||
ソレサナー 盆踊りヨー | ||||||
ハア エンヤー コーラヤ | ||||||
ドッコイ ジャンジャン コーラヤ | ||||||
2011/10/09 00:47:16
1882年(明治15年) | |||||||||||
1月1日 | 全国人口、3670万人118人(東京98万2143人) | ||||||||||
3月20日 | 上野動物園開園 | ||||||||||
4月28日 | 東京上野の帝室博物館落成(現在の東京国立博物館) | ||||||||||
5月15日 | 徳島県人滝本五郎らが「興産社」を組織して篠路に入植し、藍を栽培。 | ||||||||||
6月 | 空知集治監 市来知(現三笠)に設置 | ||||||||||
8月 | 琴似屯田兵を第一、第二中隊、山鼻を第三、第四中隊に編成。 | ||||||||||
10月10日 | 日本銀行開業 | ||||||||||
10月23日 | 上磯小学校七重浜分校として開設。 | ||||||||||
11月13日 | 幌内煤田鉄道の幌内~手宮間が全線開通 | ||||||||||
※ | 明治14年の開拓使官有物払下事件を発端とし開拓使は廃止。 | ||||||||||
※ | 開拓使の廃止で北海道は札幌・函館・根室の3県に分割、農商務省北海道事業管理局 | ||||||||||
が設置(1883年)された。 | |||||||||||
※ | 三笠は『北海盆唄』発祥の地。三笠の地名の由来は、空知集治監にあった裏山が | ||||||||||
奈良の三笠山に似ているという、囚人が望郷の念をこめて当時から三笠山と呼んでいた | |||||||||||
※ | 日本最北の酒蔵「国稀」創業。 |